宇宙と響きあうこと

8月14日 火曜日 雨のち曇り

若い頃、ネイティヴな人々について書かれた本を読みあさって、ひどく影響を受けた。簡単に書くなら、人間は一番ではなく、MOTHER EARTHに生かされている。世はバブルの末期で、人々は痙攣したように浮かれていた。

もはや、じっとしていられなかった。何度も砂漠に足を運んで、彼らにとって「割礼」のような儀式であるヴィジョン・クエストを自己流で試みた。

自分の存在を媒介として、ほんものの宇宙と、自分が内包する宇宙との間にエネルギーが通り抜ける場所を探す。砂漠のド真ん中で。きっと、誰にだってその場所はある。僕も人には教えないけれど、地球上に3カ所ある。その場所で、3日間。水だけを飲んで過ごす。

山脈の向こうに太陽が沈んでゆく。自分の影は70メートルくらいはある。それが「しゅっ」と消えていったなら、あたりは闇に包まれる。やがて、星がひとつふたつと輝きだし、信じられないくらいの満天の星空になる。この世のものとは思えないくらい美しいけれど、体験したことのない恐怖が襲ってくる。今までの自分の行いに懺悔するしかなくなる。たいていは耐えきれずにここで逃げ出す。僕も3度は逃げた。おそらく周囲何10キロ四方、人っ子ひとり居ない。ガラガラヘビは居るけど。まるで宇宙に置き去りにされたように。

闇と満天の星空の中で、外の宇宙と内なる宇宙は繋がっていることを知る。自分の成長を止めていたのは「恐怖」だってことを知る。そしてその恐怖のあまり、人は幻影を見る。それはヴィジョンと言い換えてもいい。12歳のネイティヴな少年は3日間、その恐怖に耐えなければならない。そして、村に帰り、そのヴィジョンをチーフ(メディスンマン)に話したとき、彼には初めて名前が与えられる。

初めての朝がやってきたとき。僕はしずくと涙に濡れていた。世界はみずみずしく輝いていて、近くに心臓の音を、遠くに砲弾の音を聞いた。自分が生かされているのは偶然なのではなく、奇蹟なんだってことを知った。僕は既に少年ではなかったけれど、それは貴重な体験で、宇宙に一人ってことは、つまり独りじゃないってことを教えられた。

随分、奇異で回りくどい道だったと思う。今までも、そして多分これからも。でも、強烈な意志には宇宙が呼応してくれることを知っている。自分も宇宙を内包しているからだ。ほんとだよ。繋がっていて、響き合っているから。そして、とつぜん与えられる運命は、それがどんなものであれ、自分自身だ。

あの出来事があってから、深く考えた。どうやれば未来を創ることが出来るんだろう、と。結局、立ち至った場所は、「今、この瞬間を全力で生きる」ってことだった。尊敬する人がこう云ってた。「今、ないものは未来にもない」。いや、「現在ないものは永久にない」だったっけ。つまり「未来にあるものは今、ここにある」てことだ。僕にはその言葉の意味が身にしみて分かる。

 

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宇宙と響きあうこと への1件のコメント

  1. ocean より:

    深いお話に思わずコメントせずにはいられませんでした。
    山口さんのつくりだすものに惹きつけられてしまうのは、
    そういう体験をしているから、そういう世界観を持っているから、
    そしてそこから生まれてくるものだから、ということに気付きました。
    内なる宇宙は一番近くて、でも遠い永遠のテーマな気がします。
    余分なものを削ぎ落としてピュアな状態になれたら辿り着ける場所、
    つながれるような気がします。
    的外れでしたらごめんなさい。
    今この瞬間を大切にしていきます。

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