月別アーカイブ: 4月 2011

伝言

4月9日 土曜日 雨 海外に住む人物からメール。「いったいお前の国はどうなってるんだ」。3/24に録画された南相馬市長のメッセージをyoutubeで観た。市長は政府に東電にマスコミに絶望し、世界に向けて市民を守るためにメッセージを発信していた。1カメで、彼は10分に渡って語り続けた。何ということだ。ありえない。僕はその時期、テレビを観ていないから確たることは云えないが、この悲痛かつ真摯なメッセージをテレビで観た記憶はない。 事態はとっくに、いや最初から、日本の問題ではなく、世界の、地球規模の問題だった。「意味のないことなど起こりはしない」。それは僕の信念なのだけれど、現場で放射線の恐怖と闘いながら作業を続けている人たちは別として、事態の収拾を東電任せにしていることが信じられない。まさか、とは思うけれど、「やっぱりメルトダウンしてました」なんて云い出すんじゃないかってくらいには、僕は政府や東電を信用していない。僕は失うものはないし、家族も居ない。だから、自分の意思でここに居る。今までこんなことが起こらなかっただけラッキーだったんだと思う。でも、腰を抜かしてうろたえたくはないし、過度に怖がってもいない。金持ちは外国に逃げた。小金持ちは関西に逃げた。だから何だ?もう遅いのかもしれない。でも、今こそ問題の本質についても考えるべき時で、誤解を怖れずに書けば、チャンスでもある。確か、ここは自由の国だ。だから、思ったことは自粛せず、語ればいい。シンガーは歌えばいい。毒のある者は吐けばいい。ある者にとっては薬かもしれないのだから。自分とは違う意見に耳を傾けてみればいい。ただし、匿名ではなく、自分の名で。

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違和感

4月8日 金曜日 曇り グラフィック・デザイナーのつっちーが独立するので、久しぶりに東京のド真ん中に出向いた。会はほのぼのとして、とても居心地が良かったが、この街に今流れている何とも形容し難い空気に激しい違和感を覚えた。 喉が渇いて、帰りしなコンビニエンス・ストアに立ち寄った。僕の青年時代のバイブルでもある「イージーライダー」のDVDが1000円で売られていたから、即買った。それにはピーター・フォンダとデニス・ホッパーがこの映画をどのようにして創ったかと云うドキュメントが付いていた。幼かった僕が何故この映画に惹かれたのか、理由が手に取るように分かった。この映画はローバジェットで、スポンテニアスに撮影されていた。しかも、撮影中、出演者はラリっていた。時代で、そしてリアルなのだ。今、僕がこのトシになって、どう感じるのか不明だけれど、もう一度観てみよう。きっと、この違和感を分析するためのヒントがある。  

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お知らせ

4月7日 木曜日 晴れ  新しい曲に取り組んでいます。月末から、「speechless tour」最終章に入ります。云うまでもなく、全力で音楽を奏でます。高知(二カ所)、大阪、そして函館でファイナルを迎えます。詳細はこちらです。どうぞ、よろしゅうに。

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月日は

4月6日 水曜日 晴れ 「月日は百代の過客にて、行き交う人もまた旅人なり」(超うろ覚え)。多分、中学生の頃に暗記させられたその言葉が、突然降ってきて、まともに覚えてもいないくせに、その云わんとせんことが、突然理解できた(ような気がする)。不思議なものだね。

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海が教えてくれること

4月5日 火曜日 晴れ ああ、これは大切な打ち合わせだ。そう感じたときには、東京ではなく、わざわざ離れた場所でやることが多い。駅まで客人を迎えに行き、彼らのヴァイヴレーションをうかがって、そのまま海に直行する。何を話すでもなく、中年男どもはぼーっと海を眺める。まずは解毒。それが僕の打ち合わせ。 男たちはそれぞれのトートバックをベンチに投げ出したまま、海を見つめる。それぞれのバッグにはパーソナリティーがにじみ出ていて、笑える。やがて、僕らはひとつの明確なコンセンサスを得て、それに向けて動き出すことにする。 あとは、海が育んだ、美味しい魚を日本酒で頂く。あ、この海のワカメもなかなかのものだった。 放射能から、男たちの乱れた心持ちまで。海は受け止めてくれる。明日への力を与えてくれる。陳謝し、そして感謝しなければ。  

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一瞬にして

4月4日 月曜日 晴れ 使っていなかったマッキントッシュを欲しいと云う輩が現れたので、初期化して、ソフトを入れ直し、見た目はともかく、中身だけは新品にした。ハードディスクいっぱいに入っていたデータ、つまり過去がボタンひとつで、一瞬にして消えてゆく。爽快と云えば爽快。そして、我々はこのような時代に生きている。何だかなぁ。 ずっと、「alone together」と云う曲を書いている。ディヴ・メイソン(僕はまったく詳しくないのだけど)のアナログ盤を長野で手に入れたときから、その言葉がずっと頭にひっかかっていた。

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北限のオオカミと砂漠のサボテン

4月3日 日曜日 曇り 北限のオオカミと砂漠のサボテン その間に存在する 憧れとある種の深いあきらめ そして 残念ながら 誰もが自分の背中を見ることはできない ————————————————————— 「my life is my message」 昨日、読み終えた素晴らしい本にその言葉は記されていた。海鳴りのように、その言葉がこだましている。禁忌に斬り込んでいく作者の勇敢さ、そして覚悟に、僕はひどく胸をうたれ、震えている。  

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意味のない音楽

4月2日 土曜日 晴れ   スーパーマーケットに音楽が復活した。ない方が良かった。あくまでも、僕にとっては。有線に「がんばれチャンネル」みたいなものが新設されたのかもしれないが、「がんばれsong」がじゃんじゃん流れる。どっちかと云うと不快だ。僕は聞かされたくない。胸のあたりがワサワサして、いたたまれなくなって、そそくさと店を出る。  車の中でラジオを聞いた。パーソナリティーが「震災後、いちばんリクエストが多かった曲です」と云って、曲をかけた。申し訳ないけれど、どっちかと云うと不快だった。また胸のあたりがワサワサする。曲の終わりまで聞いて、ラジオを消した。その曲が好まれていることや、たくさんの人を励ましてきたであろうこと。それは素晴らしいことさ。そして、僕がその曲を好きになれないのも仕方がない。  でも、こうも思うのだ。どちらかと云うと、僕と同じような嗜好のニンゲンだって少なからず存在するはずで、例えば僕がスーパーの社長だったら、カオリーニョ藤原の「人生の花」を1時間に1回はかけるだろう。その曲に込められた、圧倒的なものに心を奪われる人だって、たまには居るだろう。音楽を愛している者にとって、好きではない音楽を無理矢理聞かされることが、どれだけの拷問かってことを、分かって欲しいのだ。何よりも、未来を担う子供たちが、少なくとも「多種多様の音楽がこの世にはあること」。そして無数の選択肢があることだけは伝えて欲しいと思うのだ。  

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風の強い日

4月1日 金曜日 晴れ 4月、だね。 何かを経験して、消化したり、しきれなかったり。それが何処で行われているのか分からないけれど、やがて発酵が始まり、たまに腐ったりして、ときどき何かに触発されて、とつぜん曲は生まれてくる。そんな季節。机に座って、無理矢理ひねり出したものがいい曲だったことはない。最後の一行が書けなくて、雑巾の一滴を絞るように書くことはあるけれど。 たぶん、誰もが使うような簡素極まりない言葉で、いちばんディープな感情を描きたいんだと思う。 そんな季節がやってきたのかな。毎年書いてるけど、僕は桜が苦手だ。だんだん楽にはなってきたけれど、満開の桜を観てると、息が苦しくなる。でも、被災した人たちがそれで心が晴れることがあるのなら、ガンガン咲いてくれるといい。 ソングライターはときどき隔絶されなきゃいけなくなる。何かをまとめあげるときには。じっくり孤独と向き合う時間も必要だ。山に還ろうか、と思う。 ご飯を独りで喰うのは甚だ味気ないものだ。でも、できるだけ餌にならないようには心がける。喰うことに集中すると、あっと云う間に終了するので、たいてい、くだらない本を読みながらってことになる。今日はスキーの本。「上体を安定させ、雪面への働きかけで、コブを支配する」。ふむ。なるほど。どれだけコブに吹っ飛ばされたこと、か。どうやら、僕は魔界に足を踏み入れたみたいだね。 さぁ、音楽に戻ろう。

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