日別アーカイブ: 2011年7月21日

福島県相馬市にて、day1

7月21日 木曜日 晴れ 未曾有の災害を前に、自分がどう行動したらいいのかなんて、まるで分からなかった。それゆえに「未曾有」だったのかと、今となっては思う。 だから、冷静に自分の直感に耳を澄まして、死ぬときに後悔しないことを頭に入れ、ひとつひとつ行動を繰り返していたら、この日を迎えていた。それが正直な僕の実感。正しいのか、正しくないのかなんて未だに分からないし、やり遂げた実感なんてある訳がないし、巨大な渦に飲み込まれているようで、それに足下をすくわれないように必死に立っていたと云うのが本当のところかもしれない。 相馬を再訪するにあたって、津波の被害が酷かった原釜にどうしても行っておきたかった。あの場所はあの時の長田と同じように、一生忘れることのできない風景だから。果たして、そこには再生への人間の力があった。あれをどうやってここまで片付けたのか。本当に途方もない作業だったと思う。片付けた人たちは何度心が折れそうになったことだろう。見事なまでに何もなくなった原釜には、眼をこらしてみると、各家にスーパーのカゴのようなものが置かれ、ボロボロに朽ち果てた家族の写真、何かのトロフィー、そんなものがまだ置かれていた。何という愛だろう、と胸が苦しくなった。僕は再び覚悟を決めた。来てよかった。僕らが出来ることは、ほんとうに小さなことだ。でも、心を込めてやり抜くことは自分のlifeにとって、とても大切なことだ、と。 僕らがそこで何をしていたかは、この辟易するくらいの大量の写真を観てもらえば分かると思う。関わった誰もがすぐに呼応してくれ、誰もが心を込めて働いてくれていた。本当にありがとう。金銭のためにではなく、団結して働いている姿は美しかった。僕らはこの日の仕事を終えて、裏返るまで飲むことにした。誰もそんなことを云わなかったけれど、飲まないとやってられなかったのだと思う。少なくとも、僕はそうだった。 厳しい、あるいは絶望的な状況の中から、いつも素晴らしい音楽は生まれてくる。それはアイロニックなことだけれど、それが音楽の力だと思う。ただし、今回に限ってはまだそれは誰も生み出せていない。文筆家は勝手な言い方で申し訳ないけれど、更に生み出せていない。多分、それは肉体性の欠如を差し示していて、この災害の規模の大きさ、そして根深さ表している。眼に見えない敵 = 放射線との闘い。これがどれだけ困難なものなのか、それはこの場所に立っていれば良く分かる。眼に見えないと云うことは、本当に闘いづらい。僕は野菜を運びながらそれを可視化する方法を必死になって考えていた。嗚呼。

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