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思考と創作の間で

4月13日 日曜日 雨 世界が一握りの狂人たちによって変容し続けていくのを、物心がついたときからずっと見せられてきて。悔しいから「絶望した」とは書きたくないけれど、そのシステムからは限りなく離脱してやるってことと、最後の一匹になったとしても、自分の考えは変えないってくらいの逆説的エネルギーはもらってるのかもしれないな、と。 どんな手を使ってでも人の上に立とうとするタイプの人間と、スーパー事なかれ主義で、同調圧力の中で生きるタイプの人間。善し悪しではなく、それが人間の本質なのだと受け入れざるを得ない、とするなら、人間社会に未来なんてなくて、惑星が与えてくれた資源を再生することなく、使い尽くして滅びるか、自らが発明したものによって滅ぼされるかか、殺し合って滅びるか。そのどれかに帰着するしかなくなるんだろうな、と。 目の前の信号を尊守してる時点で、「飼われている」という感覚は消えません。むろん、わたすも大人なので、クルマに乗っていて、赤信号で止まらないなんてことはない。そういう意味じゃなくて、無意識に「赤信号 = 止まって当然」と思考停止するのが苦手なだけです。社会にルールやマナーは必要だけれど、他人が作ったルールが正しいなんてことは100%ない。 若い頃NYに渡ってびっくりしたのは、どんな個性も受け入れてくれること、個性があるのが当たり前なこと、歩行者が信号を守らないこと。なるほど、どう考えても安全なときに「自己責任」で信号を守らないって判断があるのか、と。その発想は親から子へ受け継がれるわけです。 電動アシストつき自転車に買い物満載、3人乗りのお母さん。ほんとにタフで偉いと思うけど、あれだけは免許制にした方がいいんではないか、と思う。まれにメールしながら運転してたりして、こっちが青くなる。危なすぎる。クルマに乗っていて、挙動が怪しい車は一気に追い越すに限るけど、たいていは携帯を見てる。んなやつに巻き込まれたくないよね。そういう意味では人間はアホだから、規制は必要なのかもしれない。 スノーボードから学んだことは。危険を知るってこと。能力以上のことをやったなら、100%怪我をする。てか、死ぬこともある。その見極めを誤ることなく、危険を回避して、与えられる歓びを享受すること。 日の出町からミッドタウンという望まなかったコントラストはわたすの感受性にそうとうな刺激を与えてくれた。だから、今は新作に手をつけずにいる。なにが正しくて、どうしたらいいのか、見極めている。そんな時間だって必要。 ある日、PCだけを残して、携帯を捨てる可能性がある。もういいではないか、と思う。書かなかったけれど、今年に入ってずっと右手が痺れてる。ありとあらゆることをやったけど、改善しない。ある日、気づいた。首だ。いつもの首だ。笑。新作を作ってるからコンピュータの前に居すぎるのだった。かように人生はアイロニック。 だから、しょっちゅう作業を中断して筋トレ部屋でストレッチをする。 そんな日々。 世界が狂っているように、わたすが正しいなんてことは100%ない。ただ、わたすはチャレンジャーなので、自分で考えた生き方を貫いてみようとする。それゆえ、派手に失敗もやらかす。それは包み隠さず、ここでお伝えする。なので、人体実験の結果として、参考にしてくれたなら本望。 ひとつのサンプルケースとして。アーメン。    

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