日別アーカイブ: 2025年10月5日

Recording day #079

10月5日 日曜日 曇り   どうしてもうまくいかない曲ってものがある。必ずある。  曲のコンセプトも、楽曲そのものも、バンドの瞬間をパッケージしたアレンジも、演奏も、なにも間違っていない「はず」なのに、なんだか、しっくりこない。ほとんど完成寸前なのに、パズルのピースが2つくらい見つからない、みたいな。それはね、苦しい。  あれこれ試して頓挫を繰り返して。絶望的な気分を何度も味わって。  それでも諦めきれずにチャレンジして、最後のピースが奇蹟的に見つかって逆転サヨナラホームランをかっ飛ばした日に、ほんとに走り出したくなる。笑。  でも、どうしてもそうならないこともある。精神的便秘。たとえが悪いか。  今日がまさにその日。  考えられることはすべて試した。この曲に関してはリズムから録り直してる。でも、なにをやってもうまくいかない。キーの選定を間違えたか、あるいはメンバーの意見を尊重しすぎたか(彼らが悪いのではなく、そんなことはよくある。我を通すのではなく、意見を聞きすぎて、自分が最初に持っていたイメージが完全に崩壊して、それがいい時もあるし、まったく元に戻れず、曲がお亡くなりになることもある。それがバンドというもの)。こうなるとなにが良くないのか、まったくわからない。迷宮入り。これは3年くらい放置しないとわからないな。これがセルフプロデュースのいちばん苦しいところ。  客観性を完全に失っている状態。これだけ主観と客観を繰り返して鍛えられていても、ときどきこうなる。ははは。  とっても大事な曲だったから、ボツにすることを決めて、ひどくブルーな気分になる。好きだからこそ、これじゃリリースできない。ソロツアーから、たいせつに育てて、歌って、磨いて完成させた曲だったからね。って。この固執がよくなかったりもする。ある種、いい意味でのテキトーさも必要だったりするからね。  そんなこんなで、ひとりで繰り返してきた逡巡も、もはや限界に達しているんだと思う。こんなとき、長谷川さんがいてくれたらな、と痛切に思う。ふらっと彼はスタジオにやってきてくれて彼は曲を救ってくれたりする。「灯り」なんてその最たる例で。若い頃もおなじように苦しんでたな。笑。  このアルバムは7年前に亡くなった長谷川さんの魂と、早朝、この時間にずっと対話を繰り返してきて創ってる。「あなたなら、どうする?」って。なにも応えてくれなくても、そういう存在がオレには必要だった。この机の横には彼の写真が貼ってある。  なんとか、気分を切り替えようと、午前3時の逡巡。要するに眠れない。散歩でもしてみるか。  たぶん、これがアルバム制作の最後の山、だな。違うか、最後であってほしい山、かな。ははは。  こんなときに限って、ライヴだなんだかんだ。やらなきゃいけないことが重なっているもの。苦笑。もう勘弁してくださいと思う。でも、それらを追い風に変えるしか、ないんである。それを愉しめるかどうかにかかってる。先日、同業者がミックスの後半に苦しんでいて、「もう逃げ出したい」って言葉を聞いて、逆に自分がとっても励まされた。もともとそういう自虐的な職業なんである。  スピーカーの間になんど幻影を見たかな。  ほんとは昔のジャズみたいに、「ぐっと掴んで、ぱっと投げる」。演奏、録音、以上!みたいなのが正しいはずなんである。逡巡するのはなにかが間違っている。それがわからないのがほんとうに苦しい。  視点を変えようと、今日はツェッペリンの映画を予約してきた。それが吉と出るか、狂と出るか、当たるも八卦、当たらぬも。笑。  さぁ、このアルバムを1枚にまとめるべきか、2枚にするべきか。応えはまだ見えない。  トムとジェリーで、ジェリーにひどい仕打ちをされたトムが野を超え、3つくらい山を越えて、山頂で思いきり叫ぶじゃん?  そんな気分です。ははは。  でもね。それがモノを創るってことの意味だと思います。

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