日別アーカイブ: 2025年10月7日

Recording day #081、完徹

10月7日 火曜日 曇り スピーカーの間の住人。なんとか完徹しました。 これから曲順やリリース形態を考えて、その上での微調整はあると思うけれど、ミキシングは終了です。これからは自分の仕事場を出て、歩きながら聞いてみる、とか、デザイナーに投げるとか、マスタリング前の次の段階に入ります。さすがにマスタリングは今回は自分ではやりません。そのくらい他人の血を導入しないと。 予想はしていたけれど、この時代にアルバムを創るってのはなかなかに痺れる作業でした。終わってないけど。バンドのアルバムなのに、孤独な場面が多すぎる。次に創ることがあるなら、炎の一発録りか、リズムまで録れる環境を自分で設立するか。 これまでの経験の蓄積がなければ、完徹するのは難しかったです。とにもかくにも。予算は全盛期の10分の1、それで過去を上回るクオリティーをって。ははは。でも、最初から沈没するつもりで船を出すバカはいないのです。 まぁ、でも、ほんとうに還暦すぎの男をタフに鍛えてくれました。もう一回りタフになったかな。ははは。後進に伝えることがあるなら、たった一言。 「諦めるな!」。 湘南に帰ってきてからの作業で、タイトルも見えてきました。あぶり出しのように。同時にジャケットのアイデアも湧いてきたんだけど、どうやって実現するかが問題。 終わったときに、達成感や充実感って前に、自分の情熱を99%使い果たしてたので、嬉しさより、情熱が足りたっていう安堵の気持ちの方が大きかったです。 若いころ、アルバム制作が終わるとマネージャーに1万円借りて(すぐ失くすので財布を持つべきではない)、安酒場に1人で消え、飲めるだけ飲んで、翌朝、植え込みで自分を発見する、みたいなことが毎回。むろん、もうそんなことはしません。 でも、今日が缶のゴミの日でして。ここは合宿所か!みたいな缶のゴミの量に、オレの肝臓耐えてくれてありがとう!とお礼を言いました。ははは。 ワインセラーにCHABOさんからいただいたワインが入っています。とっても特別な日にいただくんです。手が伸びそうになりましたが、こらえました。今日じゃねーだろ、お前って。 おととい見たツェッペリンの映画のこと、書きませんでしたが、ひとことだけ。酷い。。。 ロバート・プラントの近年の音楽愛がほんとうに素晴らしいのに、ジミー・ペイジの仕事が酷い。なんだか、もやもやしていたので、大好きなアルバム、フィジカル・グラフィティーを爆音で聴いて酔っ払いました。 そこにはすべてがありました。 1979年。高校生のときにノックアウトされたまま。1ミリも変わらない素晴らしさ。なにもあんな映画を見なくても、ここにすべてがある。ジョン・ボーナムは不世出の偉大なドラマー。ドラムだけで白いご飯食べれます。ここにいるジミー・ペイジはほんとうに素晴らしい。このアルバムを聴いて、彼と同じギターが欲しくて、中華料理屋で小麦粉にまみれて働いて、グレコのEGF850スーパーリアルっていう虎目のレスポールを買ったんです。15歳のときに。今や、そのギターはジャパニーズ・ヴィンテージと呼ばれています。あの頃の日本の楽器職人もまた素晴らしかった。 高校生のときにジョン・ボーナムがとつぜん亡くなって。3日くらい落ち込んだのを今でも覚えています。代わりがいないから解散。その潔さも。 その頃、ロバート・プラントの歌にまったく興味はなかったのです。でも、2000年を超えるあたりから、彼の音楽愛、生き方の素晴らしさに気づいた。過去にすがることはまるでなく、いつだって前を向いて、今できる最高の音楽を創り出そうとしていました。ハイトーンがまるで出なくなっても、そんなことは気にしていなかった。 どう生きるかって、たいせつなことです。 生きていくのにカネは必要。でも、それだけじゃないはずで。15歳から61歳になるまで。ツェッペリンは良くも悪くも、僕に生き方を教えてくれるのです。 僕らの音楽のファンは確かに数多くない、かもしれない。でも、彼らの生活に不可欠であるのなら、その彼らに誠実でありたいのです。誠実ってどういうことって聞かれるのなら、いつだって「これだ!」と思う道を歩むことに全力を尽くすこと。間違いだったと気づいたなら、それを認めること。どんな世界だったとしても、そこに生きるための希望を描くこと。 そう思って歩いてきました。 もう無茶な飲酒はやめるときです。笑。 まずは、ありがとう!を伝えたくて、書いた今日のblog。少し、自分を労わってやろうと思います。明日、マネージメントとミーティングをしますが、12/26にライヴは開催することになると思います。(←決定したらお伝えします)このままいけば、そこでアルバムをリリースできると思います。 おつかれ、自分!  

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