浪江町にて

3月12日 日曜日 晴れ 
 
 いわきから6号線を北上するとやがて帰宅困難地域になり、あの忌まわしき建物が見えてくる。ほんとうにすぐそこに見える。どうして僕らが関東で使ったたかが電気のために、この町の人々は故郷を追われなければならないのか?

 時の首相がアンダーコントロールと言い放ち、オリンピックを強行開催したことをオレは生涯忘れないだろう。膨大な汚染水を処理できず、薄めて海洋に投棄すると。信じがたいのはこの原発事故を収束させる目処すら立っていないのに、60年稼働させるという政策。

 政治家は全員、自分の金でここにやってきて、12年経過して、どうなっているのか見た方がいい。忘れてはいけないことと、忘れた方がいいことと、次の世代に伝えなければならないこと、と。

 浪江町の鈴木酒造の社長、大介くんが自ら語り部として、浪江を案内してくれた。詳細はここには記さない。てか、記せない。

 いろんな意味でしんどかったけれど、来てよかった。去来する想いは明日、音楽に込める。

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浪江町にて への1件のコメント

  1. Masako より:

    昨年仕込んだ、「甦る」戴いて参りました。けん玉も買ってしまいました。それと呑みすぎた。(笑)
    今回の山形・福島合同企画ツアー。山口洋ファンだけでなく、色々な場所で繋がった人たちが意気込み携えながら、参加されていました。バスの中では鈴木酒造店の社長さんが、浪江に向かう道のりの中、たくさんのお話しをしてくださいました。大平山霊園、請戸小学校では、とても辛い気持ちにもなりましたが、小学校のタイルに描かれた絵や大漁丸のちぎり絵が、救いになりました。3月11日。12年という歳月の中、風化されつつも、福島に思いを寄せるたくさんの人々。忘れてはいけないし、伝えてくださることは大切なことで、私たちもそれを学ばなければいけない。貴重な体験をさせて戴きました。浪江町が動き出しす力は、たくさんの人たちの願いと夢。前を向き、1年、また1年、新しい夢が実を結ぶ。素晴らしいです。
    米沢にも寄りました。上杉鷹山公の言葉がとても当てはまっているようでした。あと、今回行けなかったのですが「出会いは一瞬、繋がりは一生」夜汽車にある言葉です。ツアーガイドさん、長井駅では電車に乗るまで、お見送り。長井の盆踊りをみんなで踊ったよ。長井のあたたかい人たち、山形・福島の旅ができたことに感謝、感謝です。ありがとうございました。

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