10月21日 土曜日 晴れ
昨日の記述で、「イスラエルとパレスチナがどうして揉めているのか教えてください」的な。
あのね。オレ、専門家じゃないし。先生でもないし。んなもん、自分で調べてください。知らないことはなんにも恥ずかしいことじゃなくて、知ろうとしないことが問題なだけ。いまどき、そういうことをわかりやすく解説してくれるyoutubeのコンテンツだって、きっとあると思う。
それって、どんなことであれ、対岸の火事じゃないし。
なんというか。こころの中ではいつも「地球儀」を回して考えるだけの柔軟性が必要だし、もうひとつ史実も含んだ上で、自分なりの世界のパワーバランスを頭に描けた方がいいと思う。
たとえば、この問題で言えば、第一次世界大戦時、大国グレイトブリテンが行った三枚舌の外交なんて、酷すぎるにも程がある。これさえなければ、ここまでこじれてなかったと思うし、いつだってアメリカはイスラエルの肩を持つわけで、そこにイランが絡んで、サウジアラビアが絡んで、ロシアが絡んで、ややこしさを極めていくのだけれど。これは世界史の勉強の時間ではなく、今、起きていることで、あなたもオレも無実ではないってこと。結局は醜いニンゲンたちの欲と得がからまりまくってこうなってるってこと。
ややこしすぎて、よくわかんなくなることもあるけれど、ランニングしながら、うーんと身体で考えてると自分のやるべきことが見えてくる(気がする)。
個人としての生き方の積み重ねなんだと思う。それをたいせつにすることだと思う。道を外れて生きることの責任とプライド。
振り返ってみると、いつもそうだった。高校の時に「勉強しないとお前の未来はない」って脅したオレの担任。今となっては「あなたのおかげでミュージシャンになれました!」って感謝したい。
あの人はみんなと同じ列車にオレを乗せるのが教育だと思ってた。でもその列車が死ぬほど苦手だったから、飛び降りた。怖かったけど。飛び降りたら、もう線路はなくて、自分で歩いていくしかなかった。自分で歩いていくと、いろんな経験をする。経験が育ててくれたんだと思う。新聞に書いてあることを鵜呑みにするな。机の上でモノを考えるな。
いつだって(ほぼ)正しかったのは自分の直感。
行くとこまで行くと、なにを言われても怖くなくなる。まぁ、どこかで野垂れ死する可能性はいつだってあるんだけど、それを怖がってたらなにもできない。だから恐怖をともだちにして、行けるところまで行くのが人生なのかな、とこの頃思うよ。
例の地球儀をクルクル回しながらね。
ナタリー♪が、なりひびきましたよー。
俺はヨシマッツァンに「音楽で飯食うとか東大に行くより難しいぞ!」って言われて、まぁギターは好きでやってはいたけど妙に納得してしまった。受け止め方の違いで人生変わるもんだね(笑)