4月30日~5月1日 月曜日 曇り
約4ヶ月ぶりに相馬市、南相馬市を訪れました。今回は渡辺圭一も一緒です。
正直に云って、これほど「希望」と云う文字を記すことが難しく感じたのは初めてです。誰かの歌じゃないけど、「気絶するほど悩ましい」。でも、言葉を慎重に選びながら、書いてみます。ひとつだけお願いしたいのは、この文章は僕という個人の視点から書かれたと云うことです。もしも、あなたが自分の目で観たのなら、違う印象を持つかもしれない。だから、これは僕の経験であり、感想であり、事実ではあるけれど、誰かにとってはそうではないかもしれない。考える上でのきっかけになってくれると嬉しいです。
彼の地の友人たちの表情は一段と厳しさを増していました。電話でしょっちゅう話していても、実際に会うともたらされる情報量が違います。想像してみて欲しいのです。彼らは一年間に渡って、やんわりとした、でも深刻な、いつ来るとも不明な、低くたれ込めた暗雲のようなプレッシャーにさらされています。この文章で分かってもらえないのなら、もう少し書くと、いつ地震や津波、あるいは突発的な事象によって原発に何かが起きるかもしれない。政府が彼らを守ってくれないことは、彼らも知っています。決して冷温停止なんてしていないことも。だから、そうなったら、一目散に逃げるしかない。車の燃料は常に満タン、そして高速道路もJRもない。風向きを調べて、ただただ少しでも遠くに逃げる。身を守る唯一の方法はそれだけ。逃げることができるおおまかに云って3本の道は殆どが一車線。おそらくとんでもない渋滞を引き起こすでしょう。心からぐっすりと眠ることができない一年間。嗚呼。
こんな状態で、まともな精神を保つことが難しいのは誰でも分かると思います。ある人は東京のホテルに宿泊したとき、ようやく安眠できた、と。ある人はホテルに住所を記帳するとき「南相馬」と書くことを一瞬ためらった、と。そしてある人はもはや考えることを放棄した。またある人はみんなが居るから大丈夫だろうと。
そこに住んでいない我々は、「じゃぁ、その街を捨てて、どこかに移住すればいいじゃん」と考える。でも、その街で生まれ、育ってきた人にとって「土地は人格の一部である」という発言は理解するに余りあるものです。責任の取れない発言を安易にすることは許されない。ある人にとっては、何処かに移住することは人格を破壊されるに等しいこともある。だから、我々はほんとうの意味で相手の立場になって考え、命を何よりも大切にすることに最大の重きをおいて、どんなに未来を見いだすことが難しくても、問いかけを続け、できるだけ速やかに道筋を作るしかない。心の中で「何とか子供だけは避難させたい」。そう思っているのなら、その道筋を具体的に作ることでしかない。いや、書くのは簡単です。でも、僕が知っているだけでも、それを遂行するために山積している問題は気が遠くなるほどのことです。何故なら、人は一人一人違うものだからです。みなさんだって、家族で一致団結ってことがどれだけ難しいか知っていると思うのです。それぞれの家族にそれぞれの事情があるのです。だから、それはヴィジョンを伴った国策でしかあり得ない。僕はそう思います。それを待ってられないのだから、市民レベルでも取り組むしかない。でも、今、国がやろうとしていることはその逆です。それについては後述します。仮にそれが達成されたとしても、街から子供が居なくなるってことは、未来を失うってことです。僕が書いているのは相馬の話であって、この街より線量が高いところはいくつもあるのです。
彼らの表情が険しくなっていたのは「未来を見いだすことの困難さ」を身をもって理解しているからだと思うのです。この街が復興できない最大の理由は放射能です。このクソ忌々しい存在が街と人々をズタズタに切り裂いていくのです。実際、僕らの小さなプロジェクトも切り裂かれます。負けませんけどね。言い訳で生きていたら、それを自分の柱にしていたら、簡単に壊れます。当たり前です。大切なのは、物事の本質を見抜いて逆風にめげず、ほんとうの自分を生き抜くことです。こんな状況でも、ピンチはチャンスであると僕は考えます。
放射能とはほんとうに末恐ろしい存在です。それなのに、再稼働させようとする輩が居る。この国に住む人は国際的に日本が見放されていることに気づいていないように思えます。どれだけ国際的信頼を失っているのか。あの事故は起きたときから国際的な問題だったのです。嘘で嘘を塗り固めて、責任ある対応がまったくできない国の製品が国際的に売れるはずがない。簡単に云えば、福島だけでなく、この国そのものに未来がないのだと僕は自覚しています。
彼の地の友人たちは僕らと同じ国に住んでいます。もはや見捨てられたと感じている人も居ます。それは、あまりにも悲しい。ほんとうに悲しい。政治家、官僚、電力会社、銀行、マスコミ、エトセトラ。彼らに責任があるのは云うまでもないことです。でも、ちょっと待ってください。あれは自分の姿であると思いませんか。僕はそう思います。自分の無関心、無責任、言い訳が生んでしまったもうひとつの自分の姿です。自分の膿です。だから、それを糾弾する「だけ」では何も変わらないと僕は思うのです。
僕らの小さなプロジェクトに問題が起きる。そこには相馬で起きていることの縮図です。そして福島で起きていることはこの国の縮図。世界で起きていることはあなたや僕の心の縮図だと考えます。あなたや僕が生きていること、仕事をしていることが世界とどのように繋がっているのか、具体的にイメージして、行動すること。それをこれからも続けます。
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今まで原発から20キロ圏内には入ることが出来ませんでした。が、国はそこに人を戻そうとしています。確固たる具体案(除染も含む)もないままに。僕は地元の友人にそこに連れて行ってもらいました。南相馬市小高区。原発から15キロのほどのところまで行きました。そこは一年前から時間が止まったままでした。町中は思ったほど線量は高くありませんでしたが、山あいに行くと、線量は上がります。(今回は相馬市在住の未婚の女性も同乗していたので、案内者の判断で、そこには行きませんでした)。僕はそこに人を戻そうとすることの意味が理解できません。
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Messages for Soma City (120428 at ARABAKI)
Hさん 32歳 山形県山形市
東北人として、一生応援していきたい、と思っています。3.11には振り回され、国にもいろいろな思いがわきおこりますが、、一緒にがんばりましょう。
もっと大切なものは、命の持つ魂」。
人間だけの命だけでなく、ともに生きている生き物たちの命の尊厳を取り戻さなければと思いました。
みんなの命。かけがえのない命。
私事ですみません。最近彼と別れました。これだけが理由ではないのですが、彼が言った言葉が許せなかった。『地震、津波が起こった所には行きたくない。汚染されているからね。』心の底から怒りと悲しみが湧いてきました。私にとっては今でもそこで頑張っている人たちがいると思うと、逆に励まされ、私に何か出来る事がないかと考えさせられます。相馬の皆さん、頑張ってください!!!
四月の始めにボランティアで南相馬に行きました。行って、どうすればいいのかよくわからなくなりました。今だにちゃんと整理できていません。ただ、これはとてつもなく大きく、深く、そして複雑な問題だということはよくわかりました。そこで、普通に人が生きている以上、それ前提で考えていかなくてはならないと、少なくともボランティアとしての立場としてはそう思いました。被災したそのままの、冷凍保存みたいな小高の景色。これが放射能汚染というものなのかと思いました。
この状況に向き合って、悩みながらもちゃんと向き合って進めていっているこのプロジェクト、大変だと思います、でも正しいと思います。心から応援してます。
初めての南相馬は、ラーメンがおいしくて、青空がとてもきれいな町でした。