日別アーカイブ: 2011年10月22日

失うことの幸福

10月22日 土曜日 曇り 誰にも会うことなく(本当に何日もの間、誰とも会話を交わしていない、タヌキと鼠には会ったけど)、自分の心の声を聞いています。大切な時間。ようやく見えてきたこと。それは簡単に書けば、自分の良心に従って、正直に生きることに他ならず。そんなこと、今に始まったことでもないんだけど、身にしみて今更ながらに理解できたと云うか。世の中で起きていること。ひとつのウソが次のウソを創出する。強欲が次なる強欲を生み出し、連鎖していく。次第に何が本当なのか、分からなくなってくる。そんな状況の中で、本当のことを云うのには勇気がいる。でも、結局はそれがいちばん正しくて、早い道なのだと思う。僕はこれまでも割と正直には生きてきたと思う。けれど、それはヴィジョンのないまま、単に資質としてなされていた部分もあって、そのせいで充分に人を傷つけてきた。正直であることは、事実をただ吐露すればいいのではない。人にモノを伝えるのは、伝え方が重要で、それが大人になることの意味だと僕は思う。自分の欲でしか物事を考えられない人間の心の中にも、良心があると僕は信じる。その良心を開くためにも、まずは自分がそれを実践することだと感じている。   プロダクションに「所属」して、ミュージシャンに「給料」が支払われていた頃は、締め切りまで曲を仕上げることが苦痛に感じることもあった。でも、こうして音楽が出来なければタダのおっさんと云う身分に好んで転じてみると、それがいかに幸福なことであるかが良く分かる。世界と自分をたんまり見つめて、あぶり出しのように何かが湧いてくるのを待ち、書き留める。何も湧いてこなけりゃ、タダのおっさんになるだけなのだ。簡単だ。この数年で得たことは「失うことの幸福」。でも大切なものは何もなくなりはしない。物質や物体なんかじゃない。心とは、そのようなものだ。   久しぶりに福島県相馬人Mと電話で話した。様々な困難が降りかかる中で、彼の口調は輝いていた。嬉しかったなぁ。誤解を怖れずに書けば、彼は津波で家と家財全てを失った。更に原発事故で苦しめられている。でも、大切なものは何も失っていないのだ。多分。   何にせよ、最終的に自分を救えるのは自分自身でしかなく。僕らはは遺伝子となって、連綿と生き続ける。いったい、何処にたどり着くんだろう?でも、何にせよ、未来は今より明るいものであって欲しいし、「失うことの幸福」を知った僕らにはやらねばならないことがある。   「普遍的な愛の基盤は、あらゆることに対する責任感です」。by ダライ・ラマ14世、アゲイン。

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