日別アーカイブ: 2011年11月5日

シュガーレスな日々

11月5日 土曜日 雨  ない智慧を絞る日々。シュガーレス。でも、料理の味は素材そのもの、それから塩胡椒、そして思いやり- つまり愛で決まると思って過ごしている。 そもそも、中傷は行動ではない。何も生み出さない。そして、匿名は意見じゃない。責任ってものが発生しないから。 考えてみる。 みんなの日々の営みや仕事が、社会や世界や現実と、どう繋がっていて、どう機能しているかという実感。それが希薄なんだろう、と。自分も含めて、ね。カネが第一義ではない人間にとっては、自分が社会の役に立っている、あるいは社会の一員として、自分の理想が機能している。その実感がなければ、幸福だと感じるのは難しい時代に生きている。 僕は大学を出てすぐにプロのミュージシャンにはなれなかった。その力量も知名度もなかった。イギリスからデビューしようと試みて、かなりいい感触があったが、言葉の壁は当時の僕には突破できなかった。で、簡単に云うとまったく喰えなかった。どのくらい喰えなかったか、と云うとタバコを買うためにコーラの瓶を拾っていた。慢性の栄養失調で体重は49キロ。後は想像してくれ。僕は大学卒業の際に、就職が決まっていた。はっきり云ってコネ。僕は一族の出来損ないと云われていた。そこで絶大な権力を持つ親類が僕のために最後の救いの手を差し伸べてくれたって訳だ。当時花形だった、世間的に云えば、一流と云われる広告代理店。僕はここが人生の分かれ目だと思った。でも音楽がやりたかった。就職先に興味はなかった。ただ、それだけ。だから蹴った。コネなのに。僕は学生課に呼び出されて、「君は自分のやってることが分かってるのか?」と聞かれた。「分かってます」。僕はそう応えた。 喰うために選んだのは、力仕事。昼間は身体を使って、夜は音楽で頭を使う。それがいいと、いつもの直感が云ったからだ。職場はミュージシャンに優しかった。ツアーの時には休ませてくれたしね。しかし、仕事は楽じゃなかった。簡単に云えば、ゼネコンの孫請け。建設ヒエラルキーにおけるかなり最下層の部類。ゼネコンはハコモノだったり、道路だったり、そのような仕事を国から入札(かなり談合と賄賂)で請け負う。橋が出来た。トンネル作ります。そんな時に現場で式典を催す。大臣が来る時もある。粗相はできない。だから、ゼネコンは責任あるメンドーな仕事を孫請けに廻す。絶対に失敗は許されない。何かの寸法が1cm違っていようものなら、非人間的な扱いを受ける事もある。まず、野外にサーカスみたいな巨大なテントを建てる(重労働)。中に会場を設営する(神経がすり減る)。神主を手配し、式典を執り行い、直会(巨大な宴会)も別のテントでやる。テント設営の際は作業員。宴会の際はバーテンダーになったりもする。雨が降ったら、僕らは人柱にもなる。そこには妙齢の女性たちも、酒を注ぐだけの目的で送り込まれる(揶揄する訳じゃないが、ギャラは僕らの数倍)。ま、とにかくヒドかった。僕はこんなニンゲンには絶対にならないぞ、と思うような見本市だった。今となっては感謝してるけどね。反面教師として。時はバブルの絶頂。云っておくけど、すべての金の出所は税金。僕のバイト代も含めて。稀に優しい人も居たけれど、ゼネコンの中間管理職からは虫のような扱いを受けることが多かった。ま、とにかく。その経験は僕を鍛えてくれた。かなりの下層から4年に渡って、政治家や官僚を頂点とするこのヒエラルキーを実体験として見つめることがね。 (云っておくけど、僕はゼネコンの人たちを中傷したいのではない。それは理解してくれ。東電の体質がイカれてるんであって、社員が憎くないのと同じだ。) 話を戻して、と。 簡単に云って、僕はこのような形で社会と繋がりたくなかった。だから、必死に抜け出そうとした。でも、この経験はひとつの確実な視座を僕に与えた。世の中で、どのように金が流れて、どのように無駄に使われ、利権の構図、社会の偉大なる無駄の数々、むらがる人間達、欲、得、ヒエラルキーの実態、労働者であることの意味。だから、たまの思いやりが心に染みた。たとえばそれはハードな仕事の後の缶コーヒー一本だったりもする。どんなにヒドい扱いを受けたとしても、それが心のこもった一本であれば、不思議と許せる。ニンゲンとはそういうものだ。僕は学んだのだ。組織に居る時の人間の恐ろしさも含めてね。でも、誰にだって良心はある。少なくとも、そのカケラは残っている。だったら、この世はまだ信じるに足りるはずだ。僕だって、良心から行動できるはずだ。そして、自分を救うのは自分だけれど、それは誰かのたまの思いやりがなければ成り立たないってこともね。 伝えたいことが、うまく伝わるといいけど。嗚呼、シュガーレス。

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