日別アーカイブ: 2011年11月11日

東京ドームにて

11月11日 金曜日 雨 オーディエンスが100人と5万人では何が違うのか。それぞれに良さがあって、それぞれに難しさがある。大切なことは「代打がいない」ワン・アンド・オンリーの存在でいなければならないってことで、そういう意味で、出演者の皆さんは圧巻だった。云うまでもなく、誰ひとり「代打」が居ない。随分昔の話だけれど、とあるプロデューサーから「君のパフォーマンスは東京ドームでは通用しない」と云われたことがある。彼が云わんとしていたことは、この規模になると「演じる」要素がなければ、伝わらないと云うことだ。僕はそんな日が来ることを想像していなかったし、バカみたいに、自分たちのパフォーマンスを磨くことだけ続けてきた。それが通用したかどうかは、観た人の判断に委ねるとして、場所が何処であれ、自分たちが信じてきたことをやる。そのような(チャレンジしがいのある)空間を与えられたことに、心から感謝している。 それにしても。 ひばりさんの歌は世代が三代になろうと、亡くなって23年の月日が経過しようと、圧倒的な輝きを放っていた。想像して欲しいのだけれど、ご本人不在のまま、5万人規模のコンサートが開催されるってことが、どれだけあり得ないことか。それほど、この国には、今こそ、彼女が持っていたエネルギー、生き方、が必要なメッセージだったのだし、開催にあたって、想像を絶する努力をした人びとに最大の敬意を払いたい。 僕らの名誉のために云っておくと、僕と加藤和也夫妻が昔からともだちだったから、オファーが来たのではない。そんなに生っちょろい世界ではない。ただ、これだけは伝えておきたいのだけれど、詳細は書かないまでも、この縁は被災地が繋いでくれたものだ。僕の愛する相馬シティーが。欲や得や政治ではなく、震災を通じて、勝手に繋がっていった縁なのだ。だから、東日本復興支援という冠がついているように、そこに向けて演奏した。願わくば、何かが届いていたら、こんなに嬉しいことはない。 演奏後、僕はひとこと、ひばりさんに向けて喋らなければならなかった。でも、音楽の脳味噌と言葉の脳味噌は別のところにある。だから、ここに云いたかったことを記しておきます。 「ひばりさん。東北の人びとと、この国の未来を見守っていてください。今日はほんとうにありがとうございました」。

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