日別アーカイブ: 2012年8月31日

役人だったりシステムだったり

8月31日 金曜日 晴れ このプロジェクトを運営することに於いて、次第に役人だったりシステムだったり、僕が一番避けていた部分と関わらざるを得なくなってきた。むろん、僕は適任ではない。相手が誰であれ、あまりにも間違っていると思った場合には、黙ってはいない性分の人間が交渉の場に居るのは、この時点では得策ではない。 で、そのようなことに長けた人物がボランティアで臨んでくれるのだが、報告を読むと、おおよそ信じ難い反応ばかりで、しばし唖然とする。この手の輩はいったい何のために自分の職務があると考えているのだろう?どこから給料が発生していると考えているのだろう?各人のそれぞれのパーソナリティーは別にして、職務中は公僕だ。ってことは、公のために尽くすのが職務なのだよ。すべてに於いてリスク回避、立場が上の者の顔色を常にうかがい、責任はできるだけ回避して、できれば「何もない、何も起きない」という平穏と保身を望む。それはこの国の縮図そのものだ。 僕はもう、ただ怒っているだけの人間ではない。ある意味、狡猾にもなった。岩を動かすためだったら、何でもやるさ。未来のためなら、頭を床にだって擦りつける。遂行中のことなので、詳細を書けないけれど、システムの腐り方は想像を遥かに超えていたってことです。で、この姿勢こそが、この国をダメにしてるってことです。 ただ怒ること、メゲて心が折れることには意味がなくて、まずは相手の立場になって考え、無理にでもまずは全面的に受け入れてみる。相手とわずかでもいいから、通じるところを探ってみる。 震災や事故がなければ、こんな経験もしなかっただろう。これもまた試練で、ニンゲンとしての成長へのハードルだと受け止めている。 ただし、生き方を「育ち」って言葉に例えるのなら、こちらの「育ち」に問題がないはずがなくて、そんな意味では、「何のためにやるのか」って共通意識があぶり出しのように浮かび上がってくるまで、互いが粘り強く接することだと思う。実際のところ協力してくれる人は居るし、感謝も忘れちゃいけないと思う。その人の心を折ることにはまったく意味がない。 俄然燃えてきたよ。 追伸 10/6に青森の県美シアターにて、奈良美智さんの展覧会のオープニングでライヴをやるのですが、オファーが来たときの魚先生の喜びようったら。僕とて奈良さんを心から尊敬してますけど、魚先生「オレ、うれしょん漏らしそう」だって。 http://harappa-h.org/modules/tinyd0/index.php?id=128

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