日別アーカイブ: 2014年3月10日

職人の一生

3月10日 月曜日 晴れ   随分と前のこと。  ライヴにひどくシャイな青年がやってきて、こう云ったのです。「僕にギターを作らせてください」。ヤイリ・ギターのO君でした。それまで僕は外国製のギターを使っていました。恥ずかしながら、日本にこれだけ職人が想いを込めてギターを作っているメーカーがあることを知らなかったのです。  「工場に来てください」。ほどなく僕は岐阜県可児市の工場を訪ねました。素晴らしい経験でした。心を激しく動かされたのです。これだけ永きに渡ってギターを弾いておきながら、世界のどこからそれらの材料を集め、どれだけの期間シーズニングし、どうやって組み合わせられ、魂を注入し、ギターが出来上がるのか、僕は何も知らなかったのです。  僕がギターを弾き始めた頃、日本にはたくさんのメーカーがありました。その殆どは現存しません。これは僕の解釈だけれど、それらのメーカーは外国製品の精密なコピーモデルを主製品としていました。一方ヤイリ・ギターはオリジナルにこだわりました。日本でオリジナルギターを制作することや、世界に販路を開拓することは、大変な道のりだったと思います。その情熱に僕は打たれたのです。  社長の矢入一男さんにお会いしました。その日のエピソードは僕の胸に永遠にしまっておきます。鮮烈でした。絶滅危惧種のとんでもない職人魂。ミュージシャンは楽器を作ってくれる職人が必要で、その逆もまたそうなのです。僕はそのときにヤイリ・ギターを弾き続けることを決めました。彼はそういう人でした。「顔が見える楽器」を僕は初めて手にしたのです。O君と職人さんたち、そして矢入さんのスピリットをしょって、僕は全国に音楽を届けにいくのです。  以来、ソロのライヴは今日まで12年間、ほぼ一本のヤイリ・ギターで通してきました。何度も何度も改良が加えられた、世界に一本だけの「ヒロシ・モデル」。たぶん、生で聴いてもらえたなら、顎が外れるくらいの音がします。アコースティック・ギターの概念は超えました。  今回のソロ・アルアムでもたくさん使用しました。しかも、ラインだけで。それはヤイリ・ヒロシ・サウンドとしか呼びようのない類いのものです。僕にはヤイリの職人さんの昼休みに演奏したいというささやかな夢があります。あなた達が作ってくれたギターはこんな音がするんです、と。僕がさっさと行動しなかったせいで、矢入さんにその音を聴いてもらえなかったことを、ほんとうに残念に思っています。  ヤイリ・ギターは永久保証なのです。それは信頼の証です。例えば、ツアー先で不具合が生じたとき、あっという間に対応してくれます。何かの部品が壊れたとき、特急対応で送られてきたその「部品」には、その部品を取りつけるための「ネジ回し」が同封されています。そんな会社なのです。目先の得ではなく、心から愛される一本のギターを責任を持って送りだす。送りだしたからには、最後まで責任を持つ。それがヤイリのスピリットです。素晴らしいと思いませんか?  もうひとつ。  ヤイリは僕のブズーキも作ってくれました。90年代に僕がアイルランドから持ち込んだものを参考にし、ゼロからの出発だったのです。おそらく日本で初めて作られたのが僕のブズーキだと思います。現代のアイリッシュ・ブズーキの二大巨匠はドーナル・ラニーとアンディー・アーヴァインです。時を経て、その二人がヤイリのブズーキを使っていることが嬉しくてたまらないのです。想いと情熱はかならず連鎖します。  矢入さん。これからも僕はあなたの弟子たちが作ったギターを弾き続けます。そして、あなたの子供たちは世界じゅうで音楽を奏でています。あなたの肉体がこの世から居なくなっても、そのスピリットが消えることはないのです。  素晴らしい一度きりの人生、ほんとうにお疲れさまでした。心からの感謝を込めて。  矢入一男さん。R.I.P。 ————– ついしん 今日、こんな投稿を見ました。いわく 「今日、うつみようこさんが「満月の夕」を歌ってくれたのですが。「この歌はもう、中川敬のものでも山口洋のものでもない、みんなのものです。」という言葉が、とてもとても嬉しかったです。わたくしの三年目を、すくいあげてくれた。」 ようこちゃん、素晴らしいね。その通りです。そう思ってくれると、ほんとうに嬉しいです。

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