日別アーカイブ: 2025年6月4日

巨星

6月4日 水曜日 晴れ ジャイアンツが好きだったことは一度もないけれど。 ONが星になったとき、僕らの昭和は完全に終わると思っていたから。その時がやってくることを恐れていた。 果たして、その一報を聞いたとき。なんだか現実感がなかった。永遠の背番号3。亡くなったのは3日。昭和100年。嗚呼。 今となっては誰も信じてくれないけれど。心臓に欠陥があって、体育は見学しなきゃいけなくて、本ばかり読んでいたオレを哀れに思った親父が、小学校に上がると同時にグローブと硬球を買ってきて、庭にマウンドを作って、キャッチボールを始めた。野球のルールは巨人戦しかテレビで見れなかったから、まずはONから。最初に覚えた選手が王と長嶋。当時V9の真っ最中だったから、戦士たちはソラで全員言える。堀内、森、王、土井、長嶋、黒江、高田、柴田、末次。 わがライオンズは無茶苦茶に弱かった。観客なんて1000人もいなかった。テレビで見る巨人と同じプロ野球とは到底思えず。でも、オレはピッチャーになって、ライオンズを救うために毎日野球に勤しんだ。 ジャイアンツは好きじゃないけど、ONはどうしても見たかった。でも、福岡にやってくるのは3月のオープン戦のときだけ。オレは親父に頼み込んで平和台球場に連れていってもらった。もう死んじゃったともだちの飛松くんと一緒に。彼がキャッチャーでオレがピッチャーだったから。 時は1970年。オレは7歳だったか。金網を挟んで1メートルの距離で長嶋茂雄を見た。なんだか、とんでもないものを見てしまった気がしたよ。有名人とか芸能人とか、そんな軽々しいものじゃないよ。ほんとに生きてるんだって、身体じゅうが震えたよ。 引退したのは10歳か11歳のとき。10月の土曜日だったのを覚えてる。走って家に帰った。最後の試合で、長嶋はレフトに目の覚めるような444号を打った。弾道を今でも思い出せる。 ともだちが2枚組のLPを貸してくれた。例の「巨人軍は永遠に不滅です」が収録されたレコード。アホみたいに何回も聞いた。そのレコードを貸してくれた成瀬くんも素晴らしいピッチャーで、のちにニュースステーションで、プロ野球のカメラマンになっているのを知った。彼の父親はプロ野球選手だった。 好き嫌いに関わらず。長嶋さんはオレたちの昭和そのものだった。親父たちは仕事から帰るとビールを飲みながら、いつもONを見ていた。 彼がどれほどのものを背負っていたのか。想像しただけで、身震いがする。戦後の日本をどれだけ励ましてくれたことか。巨人は好きじゃないけど、ONはなんというか、少年時代のオレたちの夢そのものなのだ。 ホットコーナーを守る背番号3番。スローイングがカッコよかった。打席に入ってからのルーティン。今でも真似できるよ。3番ファースト王、4番サード長嶋。オレがスイッチヒッターだったのはこの順番で毎日真似をして素振りしてたから。 長嶋さん。田舎の少年に力をくれて、ありがとう。ほんとうにおつかれさまでした。野球の星から僕らを見守ってください。 ———- BLOG先行、今日までだよ! HEATWAVE LIVE 1995-2025 BLOG先行受付中! URL:https://eplus.jp/heatwave-blog/ 期間:05/17(土)12:00~06/04(水)23:59

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