日別アーカイブ: 2025年6月13日

Recording day #030

6月13日 金曜日 晴れ 広島の旧いともだち、ボンちゃんから「被爆80年企画展ヒロシマ1945」の案内をもらっていたから、どうにか時間を見つけて行ってきた。オレが「1995」を創ったとき、戦後50年で、その10年後、60年の際にボンちゃんの友人たちと被爆者に「遺影だと思って笑顔で写真を撮らせてください」と「継承」という展覧会を。その音楽を担当させてもらった。 山の家で、その写真たちを机の上に並べて、あっという間に音楽を創った。その笑顔がもたらすインスピレーションを今も忘れたことはない。今年の夏、「1995」のライヴをやるにあたって、どうしても行っておきたかった。   東京都写真美術館。その展示の内容については書かない。ぜひ、行ってほしいから。家族と、恋人と、できればたいせつな人たちと。     愚かなホモサピエンスの一人として。この信じがたい事実を未来永劫に語り継ぐ責任が我らにはあると思う。ほんとうにそう思う。 オレは旅先でランニングをするから。広島の街も身体で理解している。太田川がどう蛇行して流れ、街がどのように成り立っているのか。完膚なきまでに破壊された街が、草木も生えないと言われた街が、80年でここまで再生していることに、ホモサピエンスとして大きな希望を感じる。 同時に。たくさんの人に見て欲しいから、インスタにアップしてみるんだけれど。まぁ、反応の薄いこと。期待してないけど。目の前のことで精一杯なのもよくわかる。でもね、ここにはニンゲンの愚かさと、たくましさと、筆舌に尽くせないいろんなことがある。外国人が2人、RCC(中国放送)に保存されていた映像を泣きながら見ていた。思わず、来てくれてありがとう、と伝えたよ。 いつだって希望を忘れちゃいけない。 美術館を出たあとの、ガーデンプレイスの平和さときたら。コントラストに眩暈。バイクで来てよかった。ヘルメットの中で叫びながら、家に帰った。 ツアー中にね、ホテルでテレビを見た。家にはないから知っている芸能人がやたら老けていてびっくりする。 長嶋さんの特集をやっていてね。見ていて思ったんだわ。これを作っている人たちが彼の現役時代を知らないのがよくわかる。どうしてって、晩年の映像ばかり使っているから。つまり、彼らにとっては「なんだかよくわかんないけど、昔すごかった人」なんだね。 それは仕方がないことかもしれない。でもね。受け継がなきゃいけないことがある。忘れていいことと、そうでないことがある。ぜったいにある。オレは福島のことを簡単に忘れるような人間になりたくないから、毎年バイクで行く。それは自分にとってたいせつなことなんだよ。 忘れることは癒えるためのプロセスでもある。でも、忘れちゃいけないことがあるんだよ。ニンゲン、忘れすぎだよ。 言わずもがな、ボンちゃんも被爆2世。こころの深いところに同じ思いがあるから、ずっと友達でいられるんだと思う。同じように沖縄や離島の連中が普段はどーしようもないのに、慰霊の日が近くなると、急に真面目な表情になる。そういうことにオレは人間の希望を感じる。 まっすぐ家に帰って、レコーディングに復帰。今日はもう誰にも会いたくなかった。        

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