day #002 Closing Time、死という作品

1月13日 水曜日 晴れ

若い頃、自分を「アーティスト」なんて呼んだことはないけど、最近は自分への足かせとして、敢えてそう表現したりもする。おこがましいけれど、新しい生き方の創出を、人生を賭けて実験する。たとえそれが出来なかったとしても、反面教師にしてくれれば、それでいい。

デビット・ボウイが貫いた、アーティストとしての生き方に深い感銘を受けている。その死をもって、自身のLIFEという作品を完結させる。僕にとって、これ以上の新しい生き方の創出はない。彼の人生は加齢にしたがって、セルフィッシュではなく、コンパッションに溢れていった。ともだちを(モット、イギー、ルー)を絶望から再生させ、島国の田舎に住んでいた僕に「Walk on the wild side」で決定的な影響を与えた。彼が居なかったら、今頃僕は何をやっていたのか分からない。

“結局あなたが受けとる愛は、あなたが与える愛に等しい” ジョン・レノン

僕の音楽を長きに渡って愛してくれたMが亡くなった。Closing Time、死という作品。理由が何であれ、僕は君の素晴らしい人生を祝福する。それはアイルランドのお母さんが一生かけて、教えてくれたことなんだ。君が僕のこころから消えることはない。

“世界はあなた自身の延長であり、世界は複製され、増幅されたあなた自身なのです”

“支配と競争と戦争の文化を築きあげたのは思考に他ならないというのに、その同じ思考が秩序と平和を希求しているのである。しかしどうあがいても、思考は決して秩序と平和を見出すことはできない。愛が姿を現すには、思考が沈黙しなければならない” クリシュナムルティー

音楽、歌詞、ミックス、世界からの隔離、労働、山が教えてくれること。自分を媒介として、すべてのエネルギーが通り抜ける実験をしている。言葉の意味が違って響いてくる。たぶん、「無」なんだと思う。「empty」、あるいは「空」。

山を見ながら、音源をミックスする。まだその行為に慣れないけれど、はまれば素晴らしいものになる予感はある。

 

朝8時半の身震いするような山の光。

 

木は語りかけてくる。

 

この先に神(主)の領域があるけれど、まだ行かない。身の程を知らないと。

 

ゆっくりと澄んできたと思う。

 

発音が悪くて、ディランさんは僕の名前が「Shiro」だと思っている。

 

今日から自力で登ります。何度途中で休んだかで、心肺の適応具合が分かります。

 

宇宙に行く準備。

 

生きてるなぁ。

 

ひとつひとつ慌てず。

 

食べること、考えること、寝ること、いろんなことが繋がっていきます。

 

今日も山に感謝です。

 

新入りが可愛すぎて癒されます。

 

帰ってきて、あまりの自分の燃え尽き加減に笑います。

 

燃えカス。笑。でも、今からご飯を作って、それから音楽です。今日は曲のイメージがあるんだ。

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day #002 Closing Time、死という作品 への2件のコメント

  1. 桃子 より:

    洋さんの滑る姿は見れないけれど、山の風景は息をのむ美しさですね。
    “存在”が”癒し”だなんて。どうしたらそんな無垢な眼差しを向けられるのかな。そこで、その目で見たもの感じたことがきっと真実だね。
    標高3000メートルのちっちゃい新入りさん、燃えかすShiroさんをヨロシクー。

  2. Koike より:

    シロウ、あ、親父の名前だ。
    でももしかすると、「白」?
    外と同じですね。

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