月別アーカイブ: 7月 2015

安保とオレ

7月14日 火曜日 晴れ 元巨人軍の投手、高橋一三さんが亡くなった。巨人は嫌いだったけど、「ピン」とか「エモンカケ」と呼ばれていた高橋さんは大好きだった。今の投手にはない独特の個性と間があった。きっと親父の影響だと思う。R.I.P。 歴史に名を残したいだけ、あるいは祖父の遺恨を晴らすのが目的かもしれない首相が、強行採決をしようとしているとき、書いておきたいことがある。 ———————— 僕の父は満州、朝鮮からの引き揚げ者だ。祖父は日本人学校の校長。つまりは侵略した側。敗戦直後、立場は逆転し、命からがら38度線を越えて逃げ帰ってきた。その途中に妹は死んだ。彼は生涯かけて、戦争と権威的なものを憎んだ。とてもナイーブな人だった。 学問の世界だけは権威的ではないはずだ(大きな間違いだったのだけれど)と、彼は数学者になって、家族を養うため九州大学に職を得た。この大学は国立だからして、彼は学者という名の国家公務員になったわけだ。何てこった ! そして70年安保。僕は物心がついたばかりだったけれど、うちに遊びにくる赤いヘルメットをかぶった学生にも可愛がられていた。一緒に鳩時計を分解したりしてね。で、たとえば佐世保にエンタープライズが入港する。全国からヘルメットをかぶった学生が九州に押し寄せてくる。機動隊、放水、催涙弾、エトセトラ。行き場をなくした学生たちは大学の構内に逃げ込もうとする。そのとき、門を閉じるよう国から命じられたのが父だった。むろん、イデオロギーも心情的にも、父は学生の側。果たして、彼は断腸の想いで、門を閉めてしまった。アーメン。彼は自身の中で、権力の犬になってしまった。 この事実が彼を苦しめた。アルコールに走り、入退院を繰り返し、最後は車二台に轢かれて死んだ。弱くて、ナイーブだと云われれば、それまでの話。ただ、僕にとってはたった一人の父親だった。彼と僕を繋いでいたのは野球であり、音楽。それは今でも変わらないけどね。 あのとき、ヘルメットをかぶっていた連中の多くが、国の高度成長と合わせて、その後どんな生き方をしたのか僕は知っている。団塊の連中のその後の生き方が、今のこの国を作り出したことに、責任がないとは云わせない。 一方、父の無念はヘタレな僕を動かすには充分だった。その力をポジティヴなものに変えて、どこにも、何にも属さず、自分のやり方を貫くこと。たとえ、最後の一匹になったとしてもね。遺恨と云われれば、全否定はできない。でも、流れる血について、深く考察した挙げ句、自分が世界にどういう方法で、コミットするかってことではある。 僕はデモを否定しているのではない。誤解なきよう。意味がある。止められなかったとしても、当選ラインすれすれの自民党議員はある種の恐怖を覚えるだろう。 誰かの名声のために、戦争に突き進んでいい訳がない。結果を出さなければ、意味がないことも、残り時間もないことも分かっている。だから、じりじりと今日の道をすり減らすのだ。情熱を込めて。絶え間なく。  

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SMALL TOWNの流儀

7月13日 月曜日 晴れ 思い返してみると、物心がついたときにはすでに新興住宅地に住んでいて、東京に出てきてからは流れ者で、定住したことがなく、いわゆるSMALL TOWNには住んだことがない。無理にカテゴライズするなら、今生息しているエリアは、そう呼べなくもないけどね。とにかく何処に行こうと、安息の場所なんてものはなかったし、これからもないと思う。 20代、遂にこの国が耐えられなくなって、NYに脱出して、初めて街を歩いたとき。自分で居られることが嬉しかった。どれだけはみ出していても、オレはオレのままでよかった。3日間、歩けなくなるまで歩いてたよ。ほんとうに嬉しかったんだね。今だって、異国の雪山に一人で居るときに自由と幸せを感じる。 SMALL TOWN。 震災後、「SMALL TOWNの流儀」みたいなものがまったく理解できず、ドえらい苦しかった。きっと相手も僕が何を云ってるのか理解できなかっただろうけどね。4年もかかって、ようやく見えてきた。書き方を間違えると、面倒なことになるから、わざとボカすけど、あのように生きなければ、町では生きていけないんだろうね。僕のようにはっきりモノを云い、とことんやろうとするのは自殺行為に等しいんだろう。でもね、「郷に入りては従え」って、あまりにも人として無責任なことに「イエス」とは云えないよ。たとえそれが流儀でも。 で、うんざりはするけど、絶望もしない。僕には音楽があるしね。理解しようと思うし、割り切れない想いは音楽に転化させよう。難しいよ。やりがいはあるけど。ある種のファンタジーにするのは。 Facebookに馴染めず、やることもないけど、ひとつだけ、欠かさず見てるのがある。SMALL TOWNに住む、マブダチのFacebook。日々の何てことないことが写真と共に載ってるだけなんだけど、いいんだ、これが。まず、自己顕示欲で書かれてない。くだらなくて、情けなくて、季節感があって、どうしようもなくて、アホで、でも奥底に深い愛とガッツがあって、じーんとする。短編小説とか、曲みたいなんだよ。ってことは、結局、そいつの志が何処を向いてるかだけじゃん、何処に住んでたって。笑。でも、厳然としてあるんだよ。「SMALL TOWNの流儀」。物事を突き詰めるほど、露呈してくるやっかいなやつ。そもそも突き詰めることを拒否されるし、薄っぺらい付き合いが好まれることも分かっちゃいるけど、そんなことにつきあってるほど、人生は長くない。 ま、永遠の課題だね。でも、こういう部分を狡猾な連中にいいように利用されて、札束で頬をはたかれて、原発は作られ、再稼働される訳で。無視できないのが面倒くさい。 ぜんぜん関係ないけど、読者のコメントを読んで、突然思い出した。若い頃、漱石の「こころ」に「精神的向上心のない者は馬鹿だ」ってくだりを発見してね。読んだ瞬間、目の前に道が拓けたんだよ。ひかりの道みたいに。あれは、今でも道だよ。僕にとっては。

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Sunday

7月12日 日曜日 晴れ オレは実際に自分で通って、コレ見て、言葉をなくした。狂ってる。難しいけれど、創作者としてはこのこみ上げてくる想いをポジティヴに変換するしかない。

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Blood Moon、光の道

7月11日 土曜日 晴れ アナログ盤に今一度巡りあって、その可能性を探っているときに、佐野元春さんから2015年の新譜が「アナログ盤」で届けられた。まったく、何というタイミング。最新の音楽を最古かつ最良の方法で聴く歓び。 知らない土地を旅するときには、まずは地図を手に入れる。自分がどこに位置しているのか、またその街がどのようなところなのか、知らないとひどく居心地が悪い、というより、旅を続けることができない。外国でgoogle mapを使ったとしても、そんな使い方しかしない。 新作「Blood Moon」は僕にとって、地図のようなアルバムだった。これからどうなっていくのか、まったく予想のできない音楽を取り巻く世界。そこを独りで歩いていくための地図。音楽というより、この時代を生きる「ある種」の人間には必要不可欠な地図。ナビゲーションはないから、行き先を決めるのは自分の意志。聴き手である僕は勝手に叱咤され、そして励まされ、未来へと創造力を飛ばす。 発売前だから、内容を語るのは野暮だし、ルール違反だと思う。かつて、僕は彼に「境界線」について質問したことがある。応えは「それは越えるんじゃないんだ、ぼかすんだ」だった。ひどく納得したのを覚えてる。でも、あれから20年経過して、彼がそのことについて歌っていることに、ひどく打たれる。まるで夏の夕立のように。内容はひみつ。 聞き終えて、居ても立ってもいられなくなって、海沿いを走った。アナログだから、iPhoneに簡単に入れられないのがまたいい。まるで高校の授業中のように、頭の中の残像を反芻しながら、夕陽を観る。Blood Moon、それは光の道。音楽って凄い。そして、素晴らしい。 この作品はいろんな形態でリリースされる。それぞれに合った方法を選べるのはユーザーにとっては素晴らしい経験だと思う。個人的には、レコードをひっくり返す瞬間。それはレコーディングでテープを巻き戻す時間(もうないけど)のように、プレシャスなものだったことを思い出させてくれた。 佐野さん。深く感謝です。オレも新しい曲に向かいます。生きてるうちに書かなければ。 現在にないものは永久にない、というのが私の哲学です。逆に言えば、将来あるものならばかならず現在ある。だからこそ私は将来のことでも、現在に全責任をもつのです。 by 岡本太郎

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晴れたよ!

7月10日 金曜日 晴れ  

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たれ込めた雲

7月9日 木曜日 曇り どんよりしてんなぁ。低くたれ込めた雲、そして雲。ロンドンみたいな天気だなぁ。長いこと陽の光を浴びてないなぁ。おふとんの国王としては全部、からっとしてものに取り替えて、はふはふしながら眠りたいのう。 いろいろあって、まったく山に還れず。草がボーボーでヒドいことになってんだろうなぁ、と暗澹としてたら、ともだち親子が草刈りに行ってくれて、湯沸かし器のケーブルをツタと間違えてぶった切ってくれたのだと。あはは。さすがだね。ありがとう。 石田長生さん。 30年くらい前かなぁ。どこの馬の骨か分からぬアマチュアの僕を、初めてオープニングに起用してくれたプロのミュージシャンが石田さんでした。フェンダーのデュアル・ショーマンがものすごい音で鳴ってたなぁ。石やん、と僕は気軽に呼べなかったけど、何故か僕にはいつも「クン」をつけて優しく接してくれました。石田さん、ありがとうございました。生きてるものががんばらんといけん、と思います。今日も精一杯生きてみます。R.I.P。

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思うこと、いろいろ

7月7日 火曜日 曇り ふむ。なるほど。世代もあるかもしれないけど、アナログ、意外に肯定的なんだね。これから考えてみるよ。ありがとう。いつでも気軽に意見をきかせてくれ。   そうだ。アナログの前に、OFFICIAL BOOTLEG #003、引き続きよろしくね。バンドで行けない地方の人にも最新のHWのライヴが楽しめるように作ってある。通販はこのblogの右側から飛んでくれ。今のところ、通販はここだけす。アマゾンはアマゾンでね、いろいろある。苦笑。APPLE MUSICはこれまたいろいろある。語らなければならないときに、オレは本気で語る。エネルギー要るし、今はまだその時ではないと思う。日本のAPPLE MUSICではソニー関係の音源は聴けないはずだよ。理由?オレに聞かないでくれ。苦笑、アゲイン。知ってる人はいると思うけど、オレは配信に関してソニーと裁判して、完膚なきまでに負けた。こころの中で、決して屈してはいないけどね。世の中では正しいことが「省庁のお墨付きでもまかりとおらない」ことがあり、金で簡単に人は翻るってことを学んだ。そのとき、オレを助けようとしたミュージシャンはたった一人だった。上等だよ。云っとくけど、オレは個人の利益のために闘ったのではない。ミュージシャンの権利、今日はもうひとこと踏み込むけど、音楽の未来のためだ。 思うこと、いろいろ。そのときに、決めた。生涯、何の組織にも属さず生きていくこと。誰かに借りを作らないこと。自分で金を生み出せないハイエナみたいな奴には近づかないこと。自分の生き方に何の指図も受けないこと。大事なのは愛だけなんだよ?いや、ほんとうに。 おっと。話が重くなったね。そんなこんなで、僕はアナログ盤にもひとつの可能性を感じたってことです。それを作るためにも、OFFICIAL BOOTLEG #003、よろしくす。ライヴ会場では買えるようにしておきます。     この曲、大曲じゃないけど。好きだ。CHABOさんが歌ってくれなかったら、存在も忘れてた。オレなりのカポーティーへのオマージュでもある。この曲でギターを弾いてるとき、ほんとうに作家が短編書いてるような気分になる。じゃ、OFFICIAL BOOTLEG #003から1曲、聴いてね。「遠い声」。 遠い声   助けてくれ、と子羊くんが。むろん、放置はしないし、きっとどうにかするけどさ、ケネディーじゃないけど、ひとこと云いたい。 「あなたが世界から何かをしてもらうことばっかり考えるんじゃなくて、あなたが世界に何をできるか」なんだよ。それが仕事であれ、病気であれ。求めるから得られないんだよ。オレもそれが分かったの、40歳は遥かに超えてたけどね。もう一回云うよ。求めるから得られないんだよ。 最後に。川内原発に燃料注入。もうすぐ再稼働。 開通した常磐道、通ってみなよ。あの原発から数キロのところを走る道だよ。オレに家族や恋人が居たら、ぜったい通らせないよ。SFだよ。大量の汚染土、あの日から時計が止まったままの風景、道路脇には線量の表示。法治国家だとは思えなかったよ。何も解決しないまま、人々は家に帰れないまま、もうすぐ再稼働って。あんた、あの風景見たあとで、再稼働に「いいね」って押せる? 思うこと、いろいろ。そんなことも、クソッタレの稀代の詐欺師のことも、オレは音楽に込める。エネルギーを転化させてね。押忍。

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時間を持たないもの

7月6日 月曜日 雨 昨日の曲は、ソニー時代の作品を網羅してるボックス・セットに入ってたんだってね。自分で監修しておきながら忘れるってのも、、、いや、失敬。でも、よくも悪くも、過去のことにはあまり興味がない。バンドの36年分の年表なんて、どう考えてもオレしか作れないんだけど、それを作ることはないと思う。過去はもういい。LIFEの残り時間はできるだけクリエイティヴなことに使いたい。 僕らが初めてマッキントッシュのコンピュータを手にした頃。アップルは世界のユーザーたちが本気で応援しなければ、ビル・ゲイツの前で、いつも風前の灯だった。完全にマイノリティー。バカ高かったけど、それだけの魅力があったし、バックストリートを歩くアウトサイダーのための、クリエイティヴで自由に満ちたツールだった。コンピュータの中身はほぼ把握していたし、ときどき復旧に朝までかかるなんてこともあったけれど、今思い返すと、実に人間味に溢れてた。まさか世界一の企業になろうとはね。 昔のクルマはだいたい自分で整備できた。ビートルは自分で修理さえできた。今の自分のクルマはボンネットを開けても何がなんだかさっぱり分からない。整備に出すと、データを抜かれサンプリングされてるだろう。懐古趣味ではなく、何だかなぁ、と思う。新しいものは古くしかならない。書いたのは20代のオレ。その通りだよ。 昨日、iPadのOSをアップデートしたら、「MUSIC」のアイコンが違うものになっていて、勝手にAPPLE MUSICが表示されたとき、何だか決定的にこの会社が嫌いになるかも、と思った。オレはブロイラーではないのだから、自分のコンピュータであれ、中身は自分で管理したい。骨抜きにされるのはゴメンだ。 随分前に主翼を失ったにも関わらず、デッドは最後までイカしてた。 簡単に云えば、彼らは性善説にのっとって活動してきた。ファンを信じる。CDにコピーガードをつけたりするのとは真逆のベクトル。そしてインプロヴァイザー。彼らが売っていたのは独立した連帯感で、決して本来の音楽の目的を見失わず、強欲にすべてを支配しようとはしなかった。情熱は死なない。そしてライヴは本物の体験だ。「グレイトフルデッドのビジネスレッスン」と云う本は凡百のビジネス本より、よっぽど優れてる。仕事に悩んでる人は一読を。某ロックフェスの親玉に勧めて、感謝されたことがある。   さいきん、ガキの頃にすり切れるほど聴いたアルバムを、アナログで買い直すことを始めた。このトシになると、また新たな発見がある。違う聴き方ができる。自分を形作ってくれた50枚、いや100枚。分からないけど、それらはもう一度聞き直してみたい。 ひょっとして、ひとつの方法として、自分たちのアルバムはアナログで出すのもアリなのかもしれん、と思う。みんなの意見をきかせて欲しい。どのくらいの人がそれを望んでいるのだろう? 若い人物におもちゃチックなスピーカー付きのアナログプレイヤーをプレゼントした。袋からレコードを出すところからレクチャーしたが、「音が違う」と目が輝いていた。 時間を持たないものは永遠だ。そんなものにこれからも憧れていたい。

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Peace Love and Understanding

7月5日 日曜日 雨 何となく、運命がうごめいているのを感じる今日この頃です。それがどのタイミングでどのように出現するのか?まっすぐ生きることの意味がようやく分かりかけてきた、まごうことなき中年です。笑。 今日、ネットで後輩がこの曲についてのコラムを書いているのを見たんです。 なかなかナイスなタイミングじゃねーか、意味のある仕事じゃん、と思ったところで、「ん?オレはガキの頃からこの曲が大好きで、えーっと、ちょっと待て、この曲レコーディングしたことがある」ってことを思い出したんすね。 気になったんで、探しましたよ。自分の仕事くらいは全部コンピュータに入ってるはずだったんですが、そこにもない。こうなると、気になって仕方がない。あちこちひっくり返して、見つけました。非売品のCDシングル。 何故これがレコーディングされたのかは、長くなるから、置いといて。公式にリリースされたものじゃないんすね。今なら日本語に訳して伝えようとしただろうし、演奏も録音も納得できなかったのも、聴いてみるとよく分かる。それでも、埋もれてるよりは誰かに聞かれた方がいいだろうと、発掘して、ついでにマスタリングもしときました。笑。 じゃ、HEATWAVE、1994年の演奏でニック・ロウの「(what’s so funny ’bout) Peace Love and Understanding」を聴いてくだされ。 付属していたわたくしによる、歌えない意訳も載せておきます。   「(what’s so funny ’bout) Peace Love and Understanding」 ゆがんだこの世を 歩みゆく 暗闇に光る キラリを探しつつ 俺は自分に問いかける 「すべて希望は消え失せたのか、この世には痛み、憎しみ、貧しさしかないのか」と そんなに望むのなら たったひとつ 君のケツの穴に突き刺してやろう この素晴らしき愛と平和と理解 荒れ地を抜けて 俺は行く ソウルも時に見失いつつ 俺が信じた強さはどこにある? ハーモニーはいったいどこにある? そんなに望むのなら たったひとつ 君のケツの穴に突き刺してやろう この素晴らしき愛と平和と理解 (what’s so … 続きを読む

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見返りとか評価とか収集とか

7月4日 土曜日 雨 少しだけ度を越したことをすると、身体にすぐ跳ねかえってくるトシになったようで。情けないけど、受け入れていくしかないのです。いいライヴをやり、精神的に健康であるために走ってるんですけどね。 いつもの海沿いの道で、「信じがたい」ほどバッドなヴァイブスのランナーに絡まれました。理不尽すぎて意味不明。昔の僕だったら、許しがたいことでしたが、僕も大人なのでね、そこにチャンネルは合わせません。こんな人物のために、治りかけの手を怪我するなんてあり得ない。瞬時にそう判断したので、離れたのです。そして、グキっ。単純にこのランナーのせいだけではありません。理由は分かってるけど、書きません。誰かの思う壷なのでね。笑。 で、リハビリは二カ所に増えるわけですが、療法士さんはそちらの治し方も教授してくれます。プロってすごいです。感謝です。これだけ病院に通っていると、いろんな人を観察します。小さな社会が見えてきます。その中に、常に見返りも評価も求めず、誰よりもまず先に人のことを考えて行動する人がいます。ひそかに毎日、こころを動かされ、感動しています。ってか、尊敬しています。その人物の仕事を観て、自分のことを考えるのです。あれだけ無条件に愛って注げるもんかなぁ、と。でも、少なくとも、僕を動かすのです。連鎖します。きっと愛ってそういうことなんだろうなぁ。   閑話休題。 僕はコレクターではないので、弾かないギターを整理しています。弾かれないギターが可哀想だからです。プロとしては少ない方だと思うけど、それでも多すぎる。なので、この人に弾かれるべきだと勝手に認定した人に贈与します。不思議なことに、差し上げたいと思った人はすべてアマチュアの音楽愛好家です。 残ったギターたちは定期的にケースから出されて、弾かれます。今日はテレキャスターの日。ほんとうはテレキャスターが一番好きなんです。弾くには技術が必要です。死ぬまでにエクスワイヤーと呼ばれる一番古くてシンプルなものを手に入れようと思っていましたが、やめました。法外な値段だからです。ファイヤーバードを買ったときもそうだったけど、高すぎる。僕はひねくれ者なので、B級もので、比類のない音を出すことに燃えるタイプなのです。 今日ケースから出されたB級テレキャスターたち。   てな訳で、この曲のギターはLR、両方とも↑このギターっす。 No Fear   ——————————- MY LIFE IS MY MESSAGE、今年の夏フェス出演、もう一回まとめておきます。   RISING SUN ROCK FESTIVAL 2015 in EZO 出演【山口洋 (HEATWAVE)山田将司 (THE BACK HORN) 和田唱 (TRICERATOPS) 仲井戸”CHABO”麗市 】 石狩湾新港樽川ふ頭横野外特設ステージ ※出演日:8/15(土) ※出演ステージ:BOHEMIAN GARDEN … 続きを読む

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