月別アーカイブ: 7月 2022

矛盾

7月20日 水曜日 晴れ 昨夜。ドラムを録りにスタジオに行って、帰りにひっさしぶりにいつもの飲み屋に行ったら、バカ友がいて、アホみたいに飲んで、くっだらない話をしたらたのすかったなー!だいじだよなー。こういう時間。笑うって、すげーだいじだよ。 で。さっきツイッターで見かけたんだけど。 デビューしてすぐ、かな。たぶん90年とか91年とか。 ようやく沖縄に行くことができた。とっても嬉しかったのを覚えてる。音楽を通じて沖縄に行けたことがね。沖縄はこの国で唯一戦場となった場所で、観光で行くのは気が引けてたから、音楽を通じてってところがオレにとってはたいせつなポイントだった。 見るもの聞くもの食べるもの、すべてが新鮮(のちに石垣島に初めて行ったときもそうだった)。興味深くて寝る時間ももったいなかった。うちなーんちゅと話するのも楽しくて仕方なかった。小遣いはドルだった、とかね。 オレひとりアクティヴに楽しんでたから、同行してた当時の事務所の社長に「なんか、オレばっかり楽しんでるから、好きなことしてくださいね」って言ったなら、彼はモジモジしながら、「嘉手納基地に行きたい」と言う。 オレも基地の実態が知りたくて、小高い丘に行ったなら、社長氏、軍用機が飛来するのを目がハートになって追いかけてる。 「あのさ!あれって人殺しの道具だからね!」ってオレが怒って言ったなら、彼が涙目でこう言った。 「だって、オレ平和主義者だけど、軍事オタクなんだもん!」。って。 好きだったなぁ。この発言。正直で実に素晴らしい。いわく、軍用のものは無駄なものがなく、機能美に溢れている、と。まぁ、確かにそうなんだよね。オレ、ニンゲンとして、こういう矛盾は好き。それでいいと思う。だって、自身の矛盾に逡巡してるじゃん。 逡巡とか言い淀み、とか。たいせつにしたいと思う。音楽も同じ。境は越えるのではなく、ぼかしていく。そのために音楽はあるんだもん。それは曖昧ってことじゃないよ。 このblogを通じてのやり取りで、日々元気を取り戻しつつあります。人体実験のトップランナーとして、これからも前進する所存でございマックス。 ありがとう!   8/2のソロライヴへのリクエスト。このblogのコメント欄にどうぞ。ライヴに参加できない方も遠慮なく。 1. 名前(ニックネーム可)、年齢(サバ読み可)、性別、お住まいの地域 2. リクエスト曲(1曲でお願いします) 3. 聞きたい理由(ここでぐっとくると採用率あがります)   本日の1曲はランニング中にシャッフルで流れてきたリプレイスメンツ。今も昔も他人だとは思えないんだよね。海を越えて、同じ時代に同じようなものを聴いて音楽を始めたんだと思う。まだ会ったことないけど、いつか会うでしょ。            

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New Sensations

7月19日 火曜日 雨 うん。 やっぱりこのblogにまつわるやりとりって、有機的に感じるなぁ。読者もそれぞれに大人なんだろうし、なにか規制をしなくても自浄してくれつつ、ピンチのときには励ましてくれる。 続けてきてよかったなぁ、と思います。ありがとう。 リクエストの中にY.HAGAさんからルー・リードの「New Sensations」ってのがあってね。リクエストって、僕の書いた曲の話だったんだけど、この曲には特別な思い入れがあって、無視できんなぁ、と。笑。 そんなことに気づかせてくれるのも、有機的なコミュニケーション。 このアルバムが創られる背景に関してはHAGAさんの記述(昨日のdiaryのコメント欄にあります)を参照してくださいまし。僕からは僕にとってのこのアルバムを話をしますね。   このアルバムが出たとき(1984年)、僕は大学2年で20歳だったか、と。もう38年も前なのか。遠い目。黄色いフォルクスワーゲン・ビートルの中でバイトに行く途中に毎日(約1年にわたって)このアルバムを聞いてました。   HWはライヴの前の日にヴォーカルがやめて、僕が歌うことになったんだけど、どうしていいのかぜんぜんわからない。だから、ディランやルーを徹底的に真似することから始めたのです。 そんなとき、このアルバムが出て、なんつーか、その。HAGAさんも描かれてる通り、ルーが迷いを捨てて、シンプルにエレクトリックギターを使ってロックンロールに回帰した、痛快さに打たれたというか。自分がやりたかったことを見事に体現してくれたというか。 HWは自分たち専用の小さなスタジオを借りていたので、365日、好きなときに演奏することができた。あのころ、来る日も来る日も練習してたことが他のバンドとの決定的な「一体感」の違いを生み出したんだと思うんすよ。 自分の曲を創る上でも、このアルバムには多大な影響を受けました。影響ってのはつまりこのアルバムの曲をスタジオで演奏して、血肉にするってことっすね。演奏してるうちに、作者のヴィジョンが乗り移るのですよ。笑。なるー!こんなことが言いたかったのか!みたいな。こんな普遍的なこと、表現できるのか。ロックンロールすげぇ!みたいな。 なので、実は演奏できるんです。自慢にならないけど、こういうの演奏したら日本で右に出る者なし。そりゃスタジオで毎日やってたんだから。でも、日本語の歌詞を載せて伝えよう、とまでは当時思わなかったんすね。だって、自分の曲で表現する方が先だから。 でもHAGAさんが言う通り、ルーが鬼籍に入って、こんな時代で、オレが日本語に意訳して、今歌うことには激しく意味があると思ったのですよ。 こういうインスピレーションを与えてくれることに、むっちゃ感謝してます。       というわけで、かなり意訳ですが、訳してみました。ええ、もちろん8/2当日カヴァーさせていただきますよ!   NEW SENSATIONS / 歌える意訳 by 山口洋 二年前の今日 クリスマスイヴ 塀の向こうにいたけれど 酒やドラッグにハマるほど愚かでもない 誰かに道を決められたくない 諦めないし 離婚もしない オレはクルマに繋がれた犬じゃないのさ ニュー・センセーションズ 新しい感覚について話してる   不変で普遍の瞑想の原理 ネガティヴな発想の根本の原理 … 続きを読む

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気分をよくするいろいろ

7月18日 月曜日 晴れ 割とキレイ好きなのですよ。朝起きたら、まずは掃除。掃除機をかけたあと、家中拭き掃除。なんだか邪気もなくなるような気がするんでね。ハッカを混ぜた雑巾で拭くといいって教えてもらって、これいいっす!朝から、スーパー爽快な気分になります。 乗り物もピカピカにしておきます。趣味は洗車。なーんも考えず、ひたすら車を洗うって行為そのものが好きです。バイクはしょちゅう磨いておけば、いつもキレイっす。 風呂は塩化マグネシウムと重曹を入れるといいって教えてもらって、これもかなりいいっすね。年齢的にギリギリのところまで毎日運動してるんだけど、筋肉の回復が早い気がします。日替わりでアロマオイルも使うとかなりリラックスします。 ストレッチは毎日。筋トレは週に4回くらい。ようやくできるようになったランニングは5キロを週に4回くらい。全盛期の4分の1くらいだけど、走れないよりはぜんぜんいい。イケてるアイデアはたいてい運動中にもたらされます。考えてないから、いいんだと思うな。 植物を可愛がってます。ようやく彼らの声が聞こえるようになってきたかな。毎朝おはよう!と喋りかけながら水をやるのが好き。ビワの芽が伸びてきてて、めんこくてヤバいっす。 なるだけ、ちゃんと朝ごはんを作って食べる。伝統的な日本食。たまに面倒なときはバイクに乗って、鎌倉のロイヤルホストに行くんす。これも悪くない。あ、チアシードとフラックスシードはむっちゃ腸にいいです。 1日の終わりにワインを飲みつつ、ジャズをアナログ盤で聴く時間がいいっす。まさに至福。50年代から60年代にかけての演奏を聴いてることが多いです。まるで当時のクラブにいるような感覚。 酒に関してはスーパー意地汚くて、あればあるだけ飲んでしまうので、その日に飲む酒はその日に買いにいきます。なので、毎日酒屋に行きます。店員さんは顔見知りです。 居間には外国のラジオが24時間流れてます。テレビはありません。NHKが集金に来たって、そもそもテレビがないのです。 このところ、複数の本を同時に読んでます。5冊くらいを。いろんなルートから頂きを目指してるみたいでなかなか面白い。頭の切り替えにもちょうどいいっす。 自分の生活を美しくするってのは、大事だと思います。   8/2のソロライヴへのリクエスト。このblogのコメント欄にどうぞ。ライヴに参加できない方も遠慮なく。 1. 名前(ニックネーム可)、年齢(サバ読み可)、性別、お住まいの地域 2. リクエスト曲(1曲でお願いします) 3. 聞きたい理由(ここでぐっとくると採用率あがります)

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リクエスト募集

7月17日 日曜日 雨のち晴れ やると決めたことを投げ出したことがないのが、多少自分の誇りだった。 インターネットの黎明期に今もこのサイトの管理人をしてくれているYくんと、いったいオレたちに何ができるだろうね?なにをやったら、楽しんでもらえるだろうね?と話し合って、まだblogという言葉もないころに始めたのがこのdiary。 いろいろ嫌な思いもしたけれど、それからたぶん25年以上は経過してると思う。我ながら、よくやったと思う。笑。裁判の証拠に使われたことも一度や二度じゃないし。ここをきっかけにいろんなことが起きたし。 なんつっても、みんなが意思をもって、ここに来てくれることがオレの励み。 でもまぁ、最大の危機ではあった。過去形で。笑。 昨日、ライヴで久しぶりに人に会ったんだけれど、どうやらくだんの気持ち悪さを抱えているのは「まったく」オレだけではないことがわかって妙に腑に落ちた。 なにをもって、当たり前の感覚というのか不明だけれど、オレにとって当たり前の感覚を持っている人は気持ち悪くて当たり前だってことがよーくわかった。接してみるもんだね、人と。笑。 例えば、正直身の周りに自民党を支持する人間なんてひとりもいない。イデオロギー云々じゃなくて、ほんとにひとりもいないんだよ。でも、この国の実態は真逆。つまりかなり偏ったところに生きてるってことで、それは痛切に自覚しなきゃいけない。そりゃ、生きづらいさ。笑。でも、多様性こそ文化だから、いろんな意見はあって当然。それぞれの意見は尊重されるべき。 だから、同調圧力には屈しないし、たとえば、公共の場でなければマスクはしない。 正直ね。昨日、小さなステージに立って、オレの奥底から何も湧いてこなければ引退しようと思った。 安心してください。そんなこと微塵もなかった。 怒りも苦しみも悲しみも、そして歓びも。ぜんぶ合わせて、目の前にいる人たちをひとときでもハッピーにしたいって超絶な欲求がなぜか込み上げてくるのだった。 くどいなぁ、、、。笑。 まぁ、ミュージシャンもいろいろあるから、確かに綻びはするんだけどさ。オレたちは音楽がなきゃ生きられないんだよ。不要不急と言われようとも。 不要不急ってさ。広辞苑によれば、「どうしても必要というわけでもなく、急いでする必要もないこと」、あはは。ほんとによくできた言葉だよ。 でもね。 苦しいことはフツーに苦しいって伝えればいいんだって、思った。あくまでも前を向いた上でね。思いやりをもって。それをポジティヴに共有して、どうにか打開できないのか、探していけばいいのかと思った。 8/2に横浜のサムズアップでやるんだ。ド平日に。お店だって、いい加減ピンチなんだよ。黙ってらんない。みんな土日の奪い合い。なんだかなーって、思う。醜いよ。   なんで、みんなといいライヴにできたらと思う。それ全力でやり終えたら、3年ぶりに九州に帰ってみようと思う。みんなの今の気持ちを思いきり聞かせてほしいんだよ。オレはその気持ちに音楽で応える。まぁ、水曜日だし、今回は会場に来れない人にもリクエストも聞いてみることにする。だって、気持ち悪さを抱えてる人は全国にいると思うからね。 プロになったときから。1回のテレビ出演より300回のライヴを選んで生きてきた。だから、オレはずっと野に生きようって、昨日もあらためて思った。だって、ライヴは嘘がつきようがない。ついたら全部バレる。だから、いいんだよ。清々しい。 てなわけで、8/2のライヴ。リクエスト募集します。ひとり1曲、なるだけオレが書いた曲にしてくださいまし。いつも締め切り間際にどっとくるので、今回はオレを励ますと思って、早めにお願いします。懇願。 そこに今の気持ち悪さ、ぶつけてくれても構いません。でも、思いやりは忘れずにね。 いろいろ意見や励ましをありがとう。またがんばってみるよ。 Life goes on !       8/2のソロライヴへのリクエスト。このblogのコメント欄にどうぞ。 1. 名前(ニックネーム可)、年齢(サバ読み可)、性別、お住まいの地域 2. リクエスト曲(1曲でお願いします) 3. 聞きたい理由(ここでぐっとくると採用率あがります)

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生き抜こう 

7月16日 土曜日 雨   SNSと違って、流れてくるものではなく、自らの意思でこのblogを読んでくれている人たちがいるわけだから、できるだけネガティヴなものを流布しないように日々書いている。  でも、この気持ち悪さはもはや筆を置くべきときなのかも、とも思ったりもする。自分で処理しきれない気持ち悪さが文章に滲み出る。仕方がないことだと思いつつも、逡巡する。  自分のアンテナが時代の事象を捉えるのは仕方がないことで、その感度が鈍るってことは表現者としては失格で、塩梅がものすごく難しい。  どんな気がする?この時代に正気を保つのは。  ディランの力を借りて、この歌詞を書いたのは27年も前のこと。その時より、より複雑になった気持ち悪さ。逃亡して知らないフリをするってのもひとつの方法。でも、それは違うってことは福島から学んだ。  ふたつだけいい方法を見つけた。だから前向きにお伝えしておくね。  ひとつ。海外のこころあるラジオ局を聴くこと。これはね、あなたに合った局が必ずある。僕が好きな局は世界中のリスナーからのサポートで成り立っている。だから、宣伝がない。バイアスがかからないってこと。電通とか博報堂とか(言っちゃった!笑)ああいうハイエナが介在する余地がないってこと。  とってもいいよ。音楽を通じて繋がってるって「勝手な連帯感」。寄付すると「サンキュー」って返ってくるのもいい。24時間、世界の片隅からゴキゲンな音楽を流し続けてくれてることに感謝しかない。クソみたいな著作権管理団体(JASRACみたいな団体のことだよ!)が一切関与できないのも気持ちいい。  もうひとつ。  100年単位で戦禍や、貧困をくぐり抜けてきた「民謡」を深く理解しようとすること。潜在的な強さと優しさがなければ、100年も歌が生き延びることはできない。  気持ち悪さで歌が書けないのなら、そこから学ぶことには多いに意味がある。実際、歌ってるとじわじわとその深さが伝わってくる。誰にでもわかるシンプルな言葉。そこに苦しみや喜びが見事に描かれてる。それが人々を励ますんだね。  この時代の労働歌を生み出すためには、とってもいいプロセスだと思うんだ。  敬愛するシンガーがオハコにしてるtradをベースに短編を描きませんか?ってオファーがあった。それってとっても面白そうだな、と思ったんだよ。それだけのキャパシティーがあるんだよね。歌の中に。  どんな時代でもブレない自分、ブレない音、ブレない歌。  そこを目指していたいと思う。  生き抜こう、御同輩。

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ラジオから流れてくる音楽

7月15日 金曜日 雨 正直なところ、さすがのわたくすも陰鬱とする日々だったすよ。ネガティヴなものに引っ張らされないように、常に気をつけてはいるけどね。 うちの隣は小さな里山だったんだよ。いろんな鳥たちがやってきて、いつも屋上から眺めてほっこりしてた。でも数週間前から、突如開発が始まり、山は切り開かれ、木々は壊滅的に伐採。毎日トラックと重機の音が唸りを上げる。業者は工事の前にタオルを一枚もって確かに挨拶には来た。でもね、そういう問題じゃないんだ。家の前には常にトラックが駐車されていて、無惨に木々が運ばれていくのを見て、正直オレは傷ついた。 映画「杜人」で見た世界そのものが、目前で繰り拡げられていることに。ほんとに人間が嫌いになりそうだ。でも、こんなん氷山の一角に過ぎなくて、今も昔もいったい人間はどれだけのことをしてきたんだか、、、。自分も含めてね。 SNSやテレビなんかじゃなくて、世界と自分を繋いでいるのはラジオから流れてくる音楽だけでいいんじゃないか、と思うときがある。 うちではナレーションがなく良質な音楽だけが流れる外国のラジオを流しっぱなしにしてる。で、気に入ったものがあれば、そのアーティストの作品を買う。そういうリレーションが好き。繋がっていないようで、確かに繋がっている。そんなリレーション。オレがぐっとくる音はちゃんと先達をリスペクトしてるのがわかる。 この数日、ぜんぜん知らないアーティストだけど、そうやって知ることになった人たちを紹介しておくね。ラジオから好きなタッチの音楽が流れてくると、ほんとに救われる。 お願いがあるんだけど、サブスクでもいいや。聴いて気に入ったら、作品を手に入れてほしい。じゃなきゃ、アーティストはコの中じゃ生きていけない。サブスクっておそるべき搾取の構造でね。あれはこれからの音楽を確実に殺していく。ま、その話はあらためて。 どれも素晴らしいよ。愛ってか、こころがある。              

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できないこと

7月14日 木曜日 曇り コの亜種がまたしても猛威をふるっているようだけれど、オレはハートランド九州にこの夏こそ(3年ぶり)帰ろうと企んでいる。 ネットもなにも繋がらないところで、静かに自分のこころの奥深いところから湧いてくるものと向き合いたい。 3年も帰っていないと、たぶん家は恐ろしいことになっているに違いなく、目撃者によると家に入るための階段が崩れている、と。数年前の熊本地震で半壊して、なんとか住めるようにはしたものの、まだ手を入れなきゃいけないところがたくさんある。 っていうか、オレ大工仕事苦手。才能ない。でも、今回は家に入るための階段を作るところからのスタートになりそう。いや、その前に家にたどり着くために草をかき分けて草刈りからだな。とほほ。 なにはともあれ、みんなも自分のこころの健康を第一にね。

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南の島のメッセージ

7月13日 水曜日 曇り   何をもってマトモと定義するのか? その前に自分がマトモだと思ったことは一度もないけれど。  でも世界の趨勢、この国の状況、身の周りで起きていること。観察すればするほど、頭がおかしくなりそうにはなる。  身体を鍛えるのは、いいパフォーマンスをするためだけれど、周囲に引っ張られて判断を間違えないためでもある。身体にもこころにも体幹は必要。軸がなければすぐブレる。  こんなときに力を与えてくれるのは愛読してきた本だったり(今日で言えば、ウイリアム・ブレイクの”経験の歌”)、映画だったり、南の島から送られてきたパインだったり。  強い陽射しをたっぷり受けて、大地の恵みと愛情に満ちて育ったそれは信じられないくらい美味しい。  学ぶことは多い。自分は太陽を目指すのか、大地になるべきか、はたまた雨か、それともパインか、食べる人か。でも人はそのすべてになれると思うんだよね。自分という広大な宇宙の中では。  んなこと思いながら、音楽に取り組んでいます。

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忘れていた感触

7月12日 火曜日 晴れ   コになってから、歌を書く、録音するって欲求が湧いてこなかった。言葉とメロディーが奇跡的に合致するポイントを探すことができなくなっていた。もちろん無理にやればできるけれど、作為的にそれをやると自分がおかしな方向に行ってしまう。  時代に生きること。それはオレの場合、経験が音となって昇華されるってことで、それを明確に表現するために歌という手段がある。未だにうまくできないけれど、歌は楽器を演奏することより、はるかに魂に近い場所にある。  昨日、それは不意にやってきて。二年(それ以上かも)ぶりに歌を録音するためにマイクに向き合ってみた。  遠い場所に古くから残っている曲だったんだけれど、リハビリとしてはじゅうぶんすぎた。なんでこの曲を歌いたくなったのか、向き合っているうちに理解した。歌うことによって、スピリットを引き寄せていく感じ。  しばらくこの作業を続けてみようと思う。  もっとシンプルに。よりシンプルに。なっていくんだと思う。

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縁を切る

7月11日 月曜日 晴れ   予想はしてたけど、すごい結果だね。この国に暮らすってことに、ある種のあきらめを感じざるを得ない。あとで泣くことになっても、それは自分も含めて、自分の責任ってことでね。  付和雷同と金魚の糞。  思い返せば、高校のときには女の子は聖子ちゃんカット(古っ)、不良は不良で定型の不良の形。その頃からモーレツな違和感を感じてはいた。はみ出すやつまで横並びってことにね。それ、はみ出してないし。  人の反応を見て、自分の態度を決めるのが嫌い。仕方なくマスクをしてると自分が自分で居られなくなる。あなたはあなたで、オレはオレ。それ鉄則だと思うんだけど、  決定的に滅びなければ気がつかないのかもしれないね。いや、滅びても気がつかないのかもしれないね。  沖縄が唯一、マトモなのは。経験を語り継いできたからだと思う。一方的に沖縄に背負わせてきたからだと思う。  深いため息、、、。  縁を切る話でもしようか。こういうときは。  すごく苦労したけど、諦めなければ、空の力も借りて自分で変えられるって話。  9歳からタバコを吸ってた。親父には「隠れて吸うな」と灰皿を与えられた。で、吸うならこれがタバコだとピースを与えられた。今となって思うにそれは立派な教育。彼は「好きなことをしていい。でも責任は自分で取れ」としか言わなかった。たぶん、吸わなければ身長は180cmは超えていたとは思う。  なわけで、20歳を超える頃には立派なヘビースモーカー。HWが来ると空調が壊れるってスタジオの苦情が出たこともある。オレは1日5箱くらい吸ってたかな。金もないのに。  アンコールを叫ぶオーディエンスの声を聞きながら、同時に5本くわえてる。オレがタバコを吸わないとライヴができないから、イベンターはいつも消防署に許可を取らなきゃいけない、、。  30を超えて。もともと喉が強くないから歌うことがしんどくなった。いや、もっといい歌が歌いたくなった。天秤にかけて、オレは歌うことを選んだ。とにかくタバコをやめよう。そう決意したものの、何をやってもうまくいかない。  自分の意思の弱さにうんざりしたけど、それこそがニコチン中毒の実態なのだった。  当時まだ認可されていなかったニコチンパッチをカナダから輸入した→失敗。タバコをやめるプログラムに複数参加→失敗。もちろん本を読み漁った→失敗。某、花田先輩に紹介していただいて、禁煙外来へ→失敗。こうなったら根性でやめるしかないと何度も取り組むも→失敗。  ニコチン中毒の凄まじさは、たとえば周囲と軋轢を起こして、イライラするからタバコを吸ってしまった。みたいなことを平気でやらかすところにある。論理が破綻してるにも関わらず、間違っているとわかっていても、そういう行動をしてしまうところにある。深層で主導権をニコチンに握られている。  自分で決めたことはなんでも実行できたけれど、タバコだけは無理だった。やめると決意して20年近くの時が流れた。バンドのメンバーも全員やめた。残すはオレだけ。  オレは45歳から雪山に行くようになった。3年後にはアメリカの標高3000〜4000メートルのところで遊んでもらってた。その頂上は自力で登るんだけれど、スノーボードを抱えて、酸素が薄い中、登っていくのはなかなかなことなんである。  肩で息をしながら、頂上で休んでいたら、関西弁でこう聞こえた。「もう、ええやろ?」。  そういえば、バンドを始めたのも同じ。高校の授業中にきいた「バンドをやれ!」って空からの声。  「もう、ええやろ?」って声がタバコを意味しているのはすぐにわかった。吸ってみたら、死ぬほどマズかった。こんなにマズイと思ったのは初めてだった。止められるかもしれん、と思った。  それから1500メートルくらい滑り降りて、ゴミ箱にタバコを捨てて、終わり。それから一度も吸っていないし、吸いたいとも思わない。10年前の譜面なんかを引っ張り出すと、未だにタバコ臭い。信じられない。今や、なんであんなものを好んで肺に入れていたのかわからない。  オレの場合はとことんまで吸ったんだと思う。とことんまでやると、運命的にチャンスが与えられる。あれは音楽のGODじゃないか、と思う。なんでアメリカで関西弁なのかわかんないけど。それすらも逃したら、たぶん決定的なダメージを負うんだろうね。  もうひとつ。オレより先にやめた魚さんがスタジオでこう言った。「タバコをやめるなんて、大したことない。大したことだと思うからやめられないんよ」。これはとってもいい言葉なんよね。やめなきゃって自分にプレッシャーをかけるほど、ニコチンにやられる。笑。ほんとだよ。  喫煙所を探さなくていい。煙たがられなくていい。洋服や部屋やクルマが臭くならなくていい。息苦しくなくていい。夜中にタバコを買いにいかなくていい。  自由になったと思えばいいんだ。  役に立ったかな?笑。  でも、言っておきたいけど。マナーを守って吸っている人の権利は守られるべきだよ。

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