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考えないこと

1月8日 水曜日 晴れ たいせつにしていることのひとつ。考えないこと。考えるのではなく感じること。 音楽はその領域にようやく達したと思う。演奏しているときに考えていたら間に合わない。だから、空っぽの器になって、水が注がれる準備をしているだけ。演奏しているというよりは勝手に身体が動いている感覚。見ているのは目の前に拡がる風景。その風景は動画だったり、静止画だったり。 それが意図ではなく、動いていくのを感じるのが醍醐味。結果、自分の行為によって未知の世界に到達するというのが音楽家の一番の経験だとこの頃思う。そして、それが必然であることも。 ここまでくるのに失敗に失敗を重ね、第一段階として、企てることにはなんの意味もないことを知った。「こうやってやろう」なんて作為はロクでもない結果しか生まなかった。とはいえ、「空(くう)」に至るまでの過程はとても大事で、実のところ、そのプロセスこそが表現の実体だったりもする。簡単に書けば、プロセスが結果を生むわけだから、結果を先に求めてもしょうがない。 難問に挑んでいる友人がいて、何度やってもパスしない。はたから見ている者は客観視してるから、どうしてパスしないのか、よくわかってる。だって、過程がダメなんだもん。結果はでない。でも当人はわからないもんなんだよね。アーメン。 って難しいか、、。 先日モーガンサロンで、やむを得ず苦手な通訳をやるハメになった。このところは訓練してるから、聞く分にはほぼわかる。ただ、誰かに伝えるためには前後の流れとか、タイミングとか、どこを伝え、どこを省くかって、ことを瞬時に判断する必要がある。同時通訳の人が15分おきに交代する意味がよーくわかった。脳味噌の回転具合が普通じゃないのだ。ひどく疲れる。 いきおい、音楽に戻ったときにギターが弾けなくなるって惨事に。笑。そりゃそうだよね。急に考えるところから、感じるところに行く訓練はしていない。 世界中を流浪していたと言っても、たいていひと月くらいで日本に帰ってくることがほとんどだった。あの頃は翻訳機なんかもない。小さな辞書だけをもってひたすら失敗し、揉まれるだけ。でも、ひと月も揉まれていると頭の中で日本語に変換しなくても入ってくるようになる。たいていそのタイミングで帰国することになり、英語は人生の中でもっとも苦手なものになっていった。 なんにせよ、先日のはいい経験だった。あまりにも思うことがあったから、「考えない」レベルまでもっていこうと努力を始めた。時間もないから、掃除やランニング、散歩の際にヘッドフォンをして、ひたすら聞いてるだけなんだけど、「言葉の意味」ではなく「風景」が見えたらオレの勝ち、みたいな。勝手に考えた訓練。 でも面白い。 言語を風景に置き換える訓練って、ほぼ考えていないから、なんだかうまくいきそうな気がしてるんだけど。笑。なんでも人から習うのが嫌いなので、そもそも学校に行くっていう発想がない。回り道かもしれないけど、これもまた独自のプロセスだから面白がってるんだけどね。はたして身につくかどうか、わかんないけど。

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