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AIの後に残るもの

3月26日 木曜日 晴れ なにもしないで静養することに決めたから、時間だけはたくあんあった。だから考えた。 AIと人類は共生できるのか、あるいは駆逐されるのか。 そもそもAIがなんの略なのか、ちゃんと言える人の方が少ないと思う。オレは遡ること41年前、21歳。1985年からその言葉を知っている。敬愛する異才、John Caleがその名も「Artifical Intelligence(人工知能)」という名盤をリリースしたから。彼の音楽はいつだって素晴らしいんだけれど、リアルタイムで受け取ったこのアルバムはひときわグッときた。 たぶん、その時代から彼は予見していたんだと思う。特に「Dying on the vine」という曲が好きで、ものすごく影響を受けた。「Artifical Intelligence(人工知能)」の意味、わかると思うよ。そしてその延長線上で「独り」という曲を書いた。その曲をデビューアルバムに収録しようとしたのだけれど、当時の事務所の社長の猛反対にあって収録されなかった。振り返ると、彼には音楽のセンスがなかったから、オレが中央突破すればよかったのに。録音も歌詞も残っていないから、その曲をもはや再現するのは難しいけれど、とってもいい曲だった。       AIは人類になにをもたらすのか?戦々恐々とする必要はどこにもないと思う。ハンディーがある人たちには素晴らしいツールになるだろうし、我々だって時間を有効に使えるようになるだろう。ただしインターネットやSNSと同じで、どう使うかが問題なんであって、一定数の人間はAIに使われてしまうだろう。 世界にある3分の1くらいの仕事は消滅するだろう。高速道路の料金所のおじさんのように。推移して落ち着くまでの間は失業した人にとっても、世界にとっても混乱は続くだろう。でもオレはこう思う。今の産油国が「金銭的、財政的には」豊かであるように、AIが人間の代わりを務めることで生産性はあがり、利益もあがり、一見豊かっぽい世界にはなるだろう。 ただし、思うに、人間が生きていく力とは「誰かの役に立っている」という実感だと思うから、精神的に廃人のような人間も増えるだろう。 なにをもって幸福と呼ぶのかオレにはわからない。でも、その世界が自分にとって幸福かと問われるなら、応えは当然、否になる。   生まれてここまで。徹底的な体験主義で生きてきた。体験していないことは信用しない。そんな意味ではたとえば手術ロボットがいたとして。その体験を瞬時に同じロボットと共有できるって意味では凄腕の外科医を育てるよりは遥かに有益で、手っ取り早いけど。 経験って、それだけではない。患者ひとりひとりの背景、メンタリティー、存在意義、エトセトラ。いろんなことが絡んでくる。病は気からってところはAIには判断できない。だって、人生の経験がないから。 みんなも経験あると思う。ナビに頼りだした瞬間、道を覚えなくなる。ゆえ普段からなるべく使わない。バイクに乗る時は特にね。体験を擬似にしてしまうのはあまりにもったいない。 行ったのか、行かされたのか。流れたのか、流されたのか。 その違いはこうなってくるとあまりにも大きい。

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