月別アーカイブ: 12月 2011

福岡にて

12月18日 日曜日 晴れ 早起きして、墓参り。何だか、心が落ち着くよ。 正直なところ、soma Weekから今日までに至る流れ、体力的に自信がなかったのです。そこまで持つのか、俺の身体。内心ビビってました。ここまでたどり着けたのは、ひとえに支えてくれたスタッフ、ヤス先生、足を運んでくれたオーディエンスがエネルギーをくれたからです。本当にありがとう。 能楽殿の響きは素晴らしかった。ナチュラルで、いろんな芸の念が染み込んでいて。ヤスと僕は音楽による会話を存分に愉しみました。ね、観てくれた人は分かってくれるっしょ?ロックも島唄も国境も何もないってことが。そこに愛と尊敬があれば、大丈夫だと、僕らはいつも音楽から学んでいます。寒い中、来てくれてありがとう。来年はいい年にしようね。それからヨネとアヤコ、いつも支えてくれて、ありがとう。おっと、PAチームもありがとう。good job!!!!!!  

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大分県日田市にて

12月16日 金曜日 雪 亡父、命日。鹿児島からの移動中に、どじょう首相の「原発事故収束、冷温停止」と云う発言を知る。こみ上げてきたのは怒りでも、哀しみでもなかった。彼らならそう云いかねん、そう無意味な覚悟をしていたこともある。ただ僕は先日福島で、ハンディーを抱えたたくさんの子供たちに会って、「この子たちに嘘だけはついたらいけん」と何故か博多弁で強く思っていた。政治家がどこまでも苦しんでいる福島の人たちをコケにするのなら、そうではない、本当に思いやりのある人たちを増やしていく、それが自分の役目だと僕は思う。 大分県日田市は僕の「勝手に実家」がある街。シネマテーク・リベルテはこの街に古くからある映画館を改造して、カフェが併設されている。館主はアナログの35ミリフイルムでの上映にこだわっている。その心意気が素晴らしい。ヤスと僕は多少苦戦したけれど、人々の想像を超えたところにある音楽の風景を描こうとした。きっと何かをそれぞれに受け取ってくれただろう。 雪が舞う中、街の人たちも映画館のスタッフも、本当に優しかった。いい旅してるな、と思う。大切なのは続けること。それが一番難しくて、やりがいがある。心から、ありがとう。

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鹿児島にて

12月15日 木曜日 曇り 福岡空港でヤスをピックアップして、イベンター諸氏と共に、でっかい車で鹿児島を目指します。しかし、九州も便利になったなぁ。僕が住んでた頃は鹿児島に行くってことは、相当な苦行だったのだけれど。今はわずか3時間。 鹿児島の街は平和でした。あいにく、桜島は霞んで見えなかったけれど、本当に平和って素晴らしい。これが当たり前でなければならないのです。何だかなぁ。開演前にGOGO7188のあっこが娘を連れて会いに来てくれました。彼女は10代の頃から知っているので、こうやって母になった彼女を観ると、目尻が緩みます。娘は発熱中で、頭にキャベツを巻いてたけど、可愛かった。なもんで、思わず「相馬かえる新聞」を手渡しました。あっこ、わざわざ来てくれてありがとね。 会場は、ここ俺んち?みたいな広さで、PAも自分でやるっつー、久しぶりのセルフ・スタイルで戸惑いましたが、さすがは百戦錬磨のヤス先生。二人の引き出しを全部使って、ライヴが終わる頃には音楽の奇蹟が会場を包んでいました。愉しんでくれたかな?明日は一路、大分県日田市を目指します。

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福岡にて

12月14日 水曜日 曇り 飛行機でびゅーんとひとっ飛び。福岡のホテルに居ます。明日から鹿児島、大分(日田市)、そして福岡をヤス(大島保克)と廻ります。いつまでこんな稼業を続けられるのか分かりません。だから、僕が一緒に廻るミュージシャンはすべて、自分がホンモノと思ったニンゲンだけです。リアムとはまた違った意味で、ホンモノの音楽を奏で続けてきたヤスと僕がどんな音の風景を描くのか、八重山民謡を聞いたことのない人は是非、足を運んでください。 機上の人になり、夕暮れの色に染まっていく空を眺めながら、激しかったこの一週間に起きたことを振り返っていました。あくまでも、僕の感想に過ぎないのだけれど、みなさんに伝えたいことが大まかに云って二つあります。 ひとつは「経験」は「知識」を上回るってことです。僕にとって、書物に書いてあること(もちろんそれを否定しません)、人からの伝聞、あるいは情報。それらよりも、自分の目で観て、感じたこと。つまり「経験」から行動を起こしたいのです。怖れを捨てて、敬意を持って飛び込むこと。そこで得た経験が負のものであれ、そうでないものであれ、これだけが僕の財産です。リアムと楽屋でヴィジョン・クエスト(ネイティヴな人々の大人になるための儀式)の話をしました。「僕はそれまでFEARに支配されていたから、その壁を乗り越えるために、やるしかなかったんだ」。すると彼は「で、FEARはどうなったんだい?」。「うん、全部はなくならなかったけど、自分が大切にしなきゃいけないものがクリアに見えてきたよ」。彼はにこっと微笑みました。 もうひとつ、この活動が教えてくれたことは。音楽は僕にとって、心から大切にしているものです。これがなければ、僕は僕ではありません。けれど、一番大切なものか、と聞かれたなら、応えは否。一番大切なものは、愛、そして思いやりです。そして、それらが何処の方向を向いているか、です。僕は思いやる心のない音楽を演奏したくありません。被災地と人々は僕を変えてくれました。目標は以前とは比べものにならないほど、次元が高くなり、私利私欲とも一切関係のないものに変化しました。感謝しています。人生は一回きりです。あまりにも理不尽な現実の前で、僕は希望に燃えています。

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ふたつの国と福島に架ける心の橋

12月12日 月曜日 晴れ ジョン・レノンの「walls & bridges」ってアルバムが好きだ。何よりもそのタイトルが素晴らしい。心の持ち方次第で、人と人は「walls」にも「bridges」にもなることができる。このプロジェクトを通じて、僕はなにごとも肯定から入ることを学んだ。どんなに好きになれない人だって、どこかにきっと好きになる部分がある。「bridge」を架けることを忘れたら、もうその人とは永遠に分かり合うことができない。 とはいえ、あまりに過酷なスケジュールだった。何とか自分をアゲなきゃ。そんな時にふと思い出した。僕はおしゃれタウンにあるゴキゲンなテイラーのともだちに、アイルランドはドニゴール・ツイードで真っ赤なジャケットを作ってもらってたことを。今日はアイルランドと日本と福島に橋を架ける日なのだ。どうにか時間を見つけて、取りにいこう。うふっ。はーと。いいなぁ、世界でひとつだけのこのジャケット。テイラーがどれだけ想いを込めてくれたか、羽織ってみると良く分かる。一生大事にしよう。アリガトネ。 ——————————————————————- 僕が英語が下手なのもあるけれど、リアム・オ・メンリィーは随分と長い間知ってるけれど、あんまり話をしない。でも、そのぶんだけ、音楽で会話をする。生まれた国は違うけれど、世代は同じ、聞いてきた音楽も殆ど同じ、ネイティヴ・アメリカンにヴィジョン・クエストを受けたのも同じ、絵を描くのが好きなのも同じ、そして、何よりも相馬に行ったことが同じ。もう、何も話さなくていいよ。 例によって、曲順もコードも、あってないようなもので。知らない曲を演奏されても、もう僕は驚かない。知らない展開になったとしても、それが嬉しい。そんなfearはもう僕にはない。リアムとなら、大丈夫だ。怖れを捨てて、今この瞬間に音楽の橋を架けよう。 出会ってから随分と時間が経過して、リアムは老眼鏡をかけるようになり、僕は遠近両用の眼鏡をかける。でも、どうしてだろう。何だか、瑞々しいんだよね。ある種のニンゲンには年を重ねるたびに若くなる何かがあるのかもね。 ——————————————————————— My life is my message。これってvolは何になるんだっけ?そんなことはもうどうでもいいや。アイルランド大使館が橋を架けてくれ、彼の国の子供たちの絵は、福島に音楽と共に届けられた。そして、相馬の福祉施設「えんどう豆」の人たちが心をこめて作ってくれた200個のお礼のバッジ。それをアイルランド大使とリアムに手渡して、再び福島から東京を経由して、アイルランドに橋を架けるのが僕の大切な役目。開演前に流れた巨匠松本氏による、たくさんの相馬、いわき、大河原の写真。僕はそのBGMにキース・ジャレットのピアノを選んだ。観てたら、何だか、また泣けてきた。いろんなことを思い出して。僕は客席も同時に観てたんだけど、人々にはそれぞれ何かが伝わっていたと思う。それがまた、嬉しかった。アイルランドと東京と福島と宮城が、人々の心によって、繋がったことが。 正直、このプロジェクトを遂行するのは並大抵じゃなかったけれど、本当にやって良かった。人間はまだ捨てたもんじゃない。そして、えんどう豆から半ば強引に持ってきたグッズは全て、売り切れた。ブラボー。こんなに嬉しいことってないよ。 ——————————————————————— これにて、SOMA WEEK、今年のMy life is my message。すべてのイベントが終了しました。でも、これは始まりです。来年も再来年もずっと続けていきます。大使にもそうお願いしました。とにもかくにも。リアム、大使館のひとびと、イベンター諸氏、相馬の愛すべきバカタレども、足を運んでくれたみなさん。本当にありがとう。願わくば、ここで起きていることを、誰かに伝えてください。来年はいい年にしようね。たくさんの愛。  

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SOMA WEEK第二クール終了、心からありがとう。

12月10日 土曜日 曇り はてさて。この日がやって参りました。2011年に、街の人たちが主催して、相馬でライヴが出来るなんて、夢にも思いませんでした。それほど、被災直後の状況、放射能の影響は甚大でした。しかも、オーディエンスは街の人たちだけではなく、全国から足を運んでくれて交流するわけです。規模は小さくても、かなりアンビリーバブルなことで、放射能と云うシリアスな問題も含んでいるがゆえに、繊細に遂行し、音楽はワイルドに生き生きとしていなければなりません。おまけにこのプロジェクト、根性はあっても、資金は潤沢ではありません。なので、照準を定めました。誰もが必要としている、なければ生きていけない「愛」を連鎖させること。ただ、それだけです。それがでっかくなればなるほど、「カネ」ではない場所に、人は集ってくれるだろう。そう考えたのです。 確かに、遠隔地で動いている僕らも、街の人たちも尋常ではない努力をしました。いい大人たちが、本気になって取り組んでくれました。それでも、至らない点は多々ありました。あまりにも沢山の人たちが能動的に参加してくれたおかげで、スタッフのキャパシティーを超え、随分とお待たせするような結果にもなりました。それでも、辛抱強く、不満を漏らすこともなく(何人か、立腹された方も見かけました。当然です。申し訳ありません)、ぎゅうぎゅう詰めの場所で待っていてくれました。多分、それは愛が連鎖していたからだと思います。誰もが与えることによって、受け取っていた。そのような空間でした。 音楽のことは、もう書きません。明星は彼のポテンシャルを充分に発揮してくれたし、中継をたくさんの人々が見守り、メッセージを送ってくれました。おまけにサプライズで、僕は誕生日をケーキとドンペリで祝ってもらいました。大泣。 地元の人々との交流会は身動きできないくらい集まってくれました。可能な限り、時間の許す限り、ひとりひとりと話をするように心がけましたが、どうしても話すことができない方も居ました。すいません。身体はひとつしかないのです。 翌日の被災地見学会には大型バス一台ぶんのみなさんが参加して下さったと。敢えて僕が参加しなかったのは、そこには僕のファンもいらっしゃる訳で、僕が居ることで思考に余計なバイアスをかけたくなかったからです。 大切にしたいことは。 この世で生きていると、あまりの理不尽さゆえ、どうあがいても思いやりのある世界に変えることは不可能だと思えてきます。そのくらいにこの世界は理不尽に溢れています。けれど、僕はそうではないと思う。プロセスを先に考えると、発想はそこで終焉を迎えます。だから、子供の頃に持っていたような大きな夢をヴィジョンを希望を、もう一度思い描いてください。はっきりと。そして、どうやったら、それらが実現できるのか、プロセスを考えてみてください。これは僕のアニキ分が教えてくれた僕の宝物です。行き詰まったとき、いつも僕はそう考えます。自分で不可能だと決めてしまわない限り、人間に不可能はありません。 ———————————————————————- 大まかに云って、SOMA WEEKに全力で取り組むことで、新しい課題が見えてきました。ハンディーのある子供たちがたくさんイベントに来てもらうことで、彼らが普通に生活するのに、どれだけの負担がかかっているのか、知ることができました。プロジェクトは資金が潤沢ではないので、いつも節約して活動を続けています。このくらいの規模のイベントをやっても、そんなにお金はかからないだろう。僕らはそう思っていました。ところが、彼らが隣町から移動するだけで、高額のお金が必要なのです。特殊車両、ヘルプするための人員。その金額に驚きました。つまり、この事実が意味していることは、今後このエリアに生まれてくるであろう障がいを持った人たちへのサポート体制が殆ど整っていないこと。そして、原発事故は立場の弱い人たちに最初に負荷をかけていると云うことです。愚かな政府は電力会社を税金で救います。でも、いちばん弱い人たちを守らない国に一体何の未来があるのか?僕は相変わらず、怒りに震えるのです。 もうひとつ。これからは相馬を中心に発信していくことをサポートするように変えていきたいと思います。 最後に。正直に書きます。このプロジェクトは、明日僕が死んだら、もう続きません。それは僕らが望んでいることではありません。たとえ、僕が死んだとしても、何処かで誰かが受け継いでくれる。本当の意味で、愛と思いやりに満ちたものであって欲しいのです。僕らがやっている。そんな事実はどうでもいいのです。それぞれのLIFEがメッセージ。勝手に全国に自然発生し、勝手に連帯していく。そのような事をまごうことなき中年たちは夢想するのです。決して不可能だとは思いません。 ———————————————————————- 来年の大きな目標は、相馬に居る間に芽生えました。またやるのかよ?当然です。まったく諦めません。そして、僕と云う人間は皆さんが思っているほど、タフでも何でもありません。すぐ折れるし、恥ずかしいけれど、傷つきやすい人間です。だからこそ全力でやっていますが、僕が引っ張っていくのはそろそろ限界のようです。もうすぐ壊れます。情けないけど。それは自分で分かります。今まではマラソンのペースメーカーみたいな存在で良かったのです。これからはスタッフも含め、長くて苦しくて、そして愉しいレースを一緒に走りたいのです。ゴールまで。ですから、みなさんの力を貸してください。よろしくお願いします。 ———————————————————————- 長くなりました。関わってくれた人たち、参加してくれた人たち。あまりに多すぎて、ひとりひとりの名前を記すことはできません。心から本当にありがとう。来年をいい年にしましょう。 さぁ、明日は今年最後のプロジェクト。青山でリアムとライヴです。今からミュージシャンになって、曲を覚えます。 ——————————————————– 追伸 実際に現地を観てくれた方で、blogなどに記述してくれた方はサイトあてにメールをください。リンクさせてもらい、いろんな角度からの感想を読者に伝えたいと思っています。  

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この国の振り幅

12月8日 曇り 被災地に居た翌日、つまり今日。僕はこの写真の建物の中に居ました。(正確にはほぼ隣接する建物)何故、そこに居たか。今は語るときではないので云いません。この国の振り幅に、心は崩壊するかと思いきや、あまりにも想定内だったことに、自分でも驚き、そして何を大切にしなければならないのか、それを学んだ気がしています。大切なのは、それぞれの心が何処を向いているのか。ただ、それだけです。 さぁ、明日僕はまた福島県に向かいます。SOMA WEEK。来年に繋がるライヴにしたいとです。12/10のU-streamのアドレスは以下です。楽しんでください。もう書きたくないから、これで最後にします。動画サイトにアップしないでください。僕はみなさんを信じています。全国から相馬cityにメッセージを送ってください。よろしく。 いい夜にしようぜ。人は一人だけれど、独りじゃない。僕はそう思っています。 http://www.ustream.tv/channel/my-life-is-my-message-vol4

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SOMA WEEK day#2、アイルランドと子供たちとの交流会

12月6日 火曜日 さぁ、気持ちを切り替えて、交流会です。 リアムがやってきて、でっかいホールのド真ん中に置かれたピアノを弾いたとき。確かに何かが変わりました。相変わらず、彼には特別としかいいようのないものがあります。 アイルランド大使御一行も到着。遠いところから、ありがとうございます。養護学校の子供たち約100人は、バスと特殊車両を連ねてやってきてくれました。本当に、移動だけでも、大変なのです。観るまで、こんなに大変だとは、知りませんでした。サポートするスタッフや先生方。本当に頭が下がります。 大使の挨拶。相馬人Mによるプロジェクトと僕の紹介。そして、僕がリアムを紹介して、彼の演奏が始まりました。子供たち100人を即興でバックコーラスにつけてのシャーンノスに始まり、バウランで熱狂させ、ピアノで空気を豊かなものに代え、最後にティンウィッスルで子供たちの眼をハートに変えました。おそるべし、リアム。 子供たちからはお返しに、漁師さんの大漁旗で作った法被を着てのソーラン節、えんどう豆の子供たちからは「僕、相馬好きだよ」。この曲には僕も参加しました。故郷を愛する気持ちが込められていて、歌詞を聞いてるだけでヤバいのですが、突然リアムが僕のところに走ってきて「ヒロシ、キーは何?」、「Eだよ」。こうして、えんどう豆オールスターズ、僕、そしてリアムという、奇蹟のユニットが即席で誕生しました。 そして、子供たちはもう通うことが出来なくなってしまった学校の校歌を歌ってくれました。さすがにこらえることができなくなって、人目をはばかることなく号泣。廻りを見渡すと、相馬人も、うちのスタッフたちも全員号泣。リアムが不思議そうな顔で僕を観るので、状況を説明したとき、彼の眼球が微妙に揺れたことも伝えておきます。本当に、切なくて、美しい光景だったのです。僕はこの子供たちに絶対に嘘をつくような生き方だけはしない。そう誓いました。 すいません。書いていて、辛くなってきました。後は写真に語ってもらうことにします。 子供たちはほんのひとときですが、それぞれに何かを受け取ってくれたと思います。何処かで誰かが思いやっていること。愛は連鎖すること。世の中は捨てたものではないこと。 スタッフは全力でみなさんの想いを子供たちに伝えてくれました。遠いアイルランドのことも想像してくれたことだと思います。僕はまだ咀嚼できていないけれど、関わってくれた人すべてにありがとう、という言葉を伝えたいのです。本当に、ありがとう。 ———————————————————- 最後にこれだけは書いておかなければ。 今後、このエリアでは障害を持った子どもが生まれる可能性があるのです。だから、それをサポートするシステムを早急に作らなければなりません。今でさえ、それが充分だとは云えません。 ——————————————————— 明日、言葉が湧いてきたら、追記します。今日はここまでで。少し眠ります。 会の最後に子供たちからプレゼントをもらったのです。もったいなさすぎて、僕はその包みを開けることが出来ません。SOMA WEEKを無事やり終えたら、自分への褒美として開けることにします。子供たち、本当にありがとう。  

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SOMA WEEK開幕

12月5日 月曜日 晴れ それが良いことであれ、そうでないことであれ、人はキャパシティーを超えるものを受け取ったとき、言葉を失います。SOMA WEEK第一クールを終えて、東京に戻ってきた今の僕の状態がまさにそれです。深く人々に感動し、公衆の面前で号泣し、海よりも深いため息も何度かつきました。でも、僕は伝えなければなりません。これは応援してくれたみんなの気持ちがこもったプロジェクトだからです。正直に云って、まだ何も咀嚼できていません。だから、ときどき支離滅裂になることを許してください。感じたことを、出来るだけ心の深いところから伝えてみたいと思います。 僕はいつもと違う道を選びました。ほぼ全員が避難している飯館村のとある地区を抜けたのです。晩秋の美しいにも程がある、東北の山里の風景。きれいに手も入れられています。でも、誰ひとり居ないのです。運転しながら、急にこみあげてきたものを止めることは出来ませんでした。個人的な話ですが、僕にもう帰る故郷はありません。だから、それを想う人の気持ちは分かるつもりでいます。彼らがどんな気持ちで故郷を離れなければならなかったのか。そして、今どんな気持ちで帰郷に焦がれながら、暮らしているのか。それを想うと、本当に何というか、相馬に着く前に、心が折れました。これだけは伝えたいのです。原発事故はまだ「何も」終わっていません。何の罪もないまま、自分の村から引き離された人々のことを忘れたくありません。彼らがそこに帰るためには何をすればいいのか。あるいは帰れないのなら、どうしたらいいのか。うー、いろんな想いが頭の中をグルグル巡ります。 最初に向かったのは南相馬市にある自立研修所「えんどう豆」です。ここに書くのもはばかられるほど、震災後、彼らは苦難を乗り越えてきました。そして、今現在も放射能に苦しめられています。でも、笑顔を忘れません。所長の佐藤さんをはじめ、みんな生き生きと「ここで」生きています。リクエストは「ほんの短い時間でもいいから、美味しいものをみんなで一緒に食べて、ほっこりしたい」でした。プロジェクトが誇る料理人たち5名が前日から乗り込み、魚どころなのに、食べられなくなってしまった魚を振る舞うために、奮闘しました。ありがとう、お前らサイコーだよ。 僕は彼らが食べている間、ずっと縁側に座って、彼らの声を背後で聞いていました。余計な都会のテンションを狭い部屋の中に持ち込みたくなかったからです。料理人達の心意気をゆっくり味わって欲しい。そう思ったのです。目の前には「えんどう豆」の畑が広がっています。そこに作物を植えることはできません。収入の道は断たれました。心の中で何度「畜生」と叫んだか分かりません。それが誰に対してのものなのか、未だに分かりません。 原発から20キロ圏内にある3つの高校を統合した「仮設高校」に行きました。猫の額ほどのグラウンドで野球部が練習しています。そして真横には表土を剥がれた土がブルーシートと共に山積みにされています。頭の中で、確かに何かが切れる音がしました。イカれてます。狂ってます。云うまでもなく、生徒たちが狂っているのではありません。我々大人たちが、です。政府がです。自治体がです。こんな環境の中でも、野球に励もうとしている学生たちに、僕はカメラを向けることは出来ませんでした。 それから僕らは明日のアイルランドとの交流会の仕込みに行きました。大学を出た後、僕は式典屋でアルバイトをしていました。得意分野です。走り回って、汗をかいて、気持ちを込めて、自分の気持ちを立て直しました。心のこもったたくさんのプレゼントが用意されています。人を想うのも人、自分のことしか考えないのも人。それが僕らの住んでいる世界です。 会場の設営を終え、リアムと合流しました。相変わらずの下手クソな英語で、このエリアのことを説明しました。彼は黙って、それを聞いてくれました。さぁ、明日は来年に繋がるいい一日にしよう。でも、このままじゃ無理だ。それを察した相馬の友人たちが、アホ化して、酒でネガティヴなものを洗い流してくれました。ありがとう。  

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明日、SOMA WEEK開幕

12月4日 日曜日 晴れ いよいよ、SOMA WEEK開催前夜です。明日、福祉施設での炊き出し(とは云っても、これは現地からの要請で、子育てや放射能被害に疲れきっている親御さんたちをひとときだけでもハッピーにして欲しいとのリクエストです。よって、プロジェクトが誇る料理人たちが既に現地入りして、仕込みが始まっています)からスタートします。昨日、料理隊長に会いましたが、氷詰めにした魚を現地に持っていくのだと。さ、魚ってあんた何作るん?応えは「鮨」でした。そんな炊き出し、聞いたことないなぁ。さすがだ。 それでは、全国の皆さんの気持ちを乗せて、私も明日早朝、現地に向かいまする。できるだけ、このblogで状況をお伝えしようと思っていますが、果たしてそんな環境があるかどうかは不明です。じゃ、行ってきます。  

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