月別アーカイブ: 11月 2013

30年ぶりの宿題

11月20日 水曜日 晴れ 前述のゴキゲンなライ・クーダーのライヴ盤を聴いていて、やり残していたことを思い出した。高校3年の時分の宿題。 スライドギターは夢の乗り物。西洋人の都合で勝手に決められた、1オクターブに音は12しかないという観念を遥かに超えていく奏法なのよ。フレッテッドなのにフレットレスにしてくれる。ほんとうは音は無限にあるんだよ、西洋人。この楽譜に書けないってところが最高。 ただし、これがあんまり得意じゃなかった。おおはた雄一くんのスライドがあまりに素晴らしいので、感化されて、弾きまくって、ずいぶん自分のものにはなってきたけど、高校3年以来の宿題をやり残しているのが良くないのは分かっている。 ライの演奏は音程のずらし方、ピークにもっていくニュアンスが天才的。演奏を聴いていて思わず身体をくねらせたくなるっつーか、その、お、オレのかゆいところ、かいてーーーーーー、みたいな(分かる?)。じらされて、じらされて、遂にかゆいところをかいてもらって悶絶、みたいな。 ところで、宿題ってのはディヴィット・リンドレーの「マーキュリー・ブルース」。確か1982年に出たEL RAYO-Xとのライヴ盤の最後に入ってた。こ、これは弾きたい、モノにしたいと思って、一週間くらい取り組んだが、果たしてどうやって弾いているのか、まったく分からないまま投げ出してしまった。 若いミュージシャンと交流したことで、高校1年の宿題、ツェッペリンの「RAIN SONGS」は完全にマスターしたからして、この宿題は超えなきゃ、と今日思ったのである。 ところで、you tubeで当時の動画を観て、悶絶。彼が弾いているのはエレクトリック・ギターではなく、ラップ・スティールだった。お、オレはエレキでコピーしようと、、、。そもそも楽器が違うなんて。 でもまぁ、今観てもすごい演奏だから、観てください。さすが「化けもの」。 感化されて、俺も倉庫の奥から1950年製のリッケンバッカーのラップ・スティール、引っ張り出してきたよん。

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Message

11月19日 火曜日 晴れ 君は一人で、そして独りじゃない。

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離脱

11月18日 月曜日 晴れ 少しだけ自由な時間ができたのと、ちょっと熱っぽいのと、コンピュータに新しい音楽が注入されたのと、激しいトレーニングの割にはまったく体重が変わらないのは、筋肉が増えて体脂肪率が下がっているであろうことと、エトセトラ。 いったい何がやりたかったのか。こういうときには立ち止まって考えた方がいい。 「意味」からの、「言葉」からの、「常識」からの、「組織」からの離脱。エスケイプではなくリリース。解放だよ。自由。 激しく走ると、くっついてくるものがひっぺがされる。音楽に入りこむと「考えなく」なる。訓練すれば、筋肉も考える。ほんとだよ。もう脳の命令はあんまり信じたくない。心ですらないのかも。本能と直感はちゃんと自分の中で待機してる。それは分かる。      

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the Gift

11月15日 土曜日 晴れ この二日間の色気のない日々の描写を簡単に。 マネージャー氏がやってきて、先日のHW SESSIONSのファイルを仕事場のコンピュータに注入。作業はようやく大海に漕ぎ出したところ。 昼過ぎ。画家、映像作家、グラフィック・デザイナー、写真家、ミュージシャンが集まって真剣な悪だくみ。この時代に必要な表現について、最大公約数と最小公倍数を話しあう。 夕刻。ひとつの結論が出て、街の小料理屋へ。こんな時間に気の合うクリエイターと居ることが久しぶりだったので、結局開店から看板まで飲んで、ヘロヘロになって帰宅。ああ、またやっちまった。ゼロかゲロ、all or nothig はいつになったら卒業できるのか。情けな。 本日。まったく使い物にならず。おふとん国王として情けな。本日、ランニングも含めて、何ひとつ生産できず。 郵便受けに、鮭川中学校3年生全員からの大量の手紙。それにひきかえ俺ときたら、二日酔いで「猿以上人間以下」。こんな汚れた俺がイノセントな手紙を読む資格はないと判断したので、明日、21キロ走って、みそぎを済ませて読むことにした。ほんとうに、涙出たぜ、娘や息子たち。ありがとう。  

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国破れて山河あり

11月14日 木曜日 晴れ 一国の首相が世界に向かって「原発の状況はコントロールされていると、私が保証します」と言い放ち、「お・も・て・な・し」と云う象徴的な言葉の後に、オリンピック招致が決定したときの気持ちはたぶん死ぬまで忘れない。自分が暮らしている世界はこんな場所だったのか、とあらためて知らされたとでも云うか。しつこいと云われようが何だろうが、このこみ上げてくる怒りを通り越した吐き気みたいなものは、僕の個人的な感情で、それをうやむやにすることはできず。そうしたなら、たぶん病気になって、僕が僕ではいられなくなる。 でも、角度を換えて考えると、この感情は僕に多大なエネルギーを与えてくれている訳で、もはや心が折れたりするほどヤワでもないし、ネガティヴな感情の中で、どこか無理矢理にでもポジティヴな方向に転換する方法はないのかと探すのです。そして、それはまったく不可能ではない。後は自分のやるべきことをやるだけ。 内田樹さんは「あの感情」を見事に言語化してくれました。知性はこういう風に使うのかっちゅー、僕にとっては見本のような。素晴らしいのは問題を提議しただけではなく、未来への提言が(彼の言葉を借りれば)「暴論」とともに語られているところ。実名でね。ここ大事。 今、どうにもならない感情を抱えている人は聴いてみてはどうですか?正解なんて何処にもないけど、示唆に富んでいて、打開に向けてのヒントが見つかるかもしれない、と思います。 このサイトにアクセスすれば聴けます。ポッドキャストでダウンロードもできます。僕はランニング中に、2度聴いて、しっかり血肉にさせてもらいました。感謝です。フィジカルな活動中に、メンタルを整えるって、かなりいい。「シンガポールは明るい北朝鮮」ってところはかなりキた。いろんな意味でね。 追伸 「blog上地獄アワー」。簡単に過去の放送?に飛べるように、サイトの管理人Y君がこのblogを改造してくれました。ありがと。右側の一番下にそのコーナーがあります。

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鮭川中学校ドキュメント完成

11月13日 水曜日 晴れ 11/2に行われた山形県最上郡鮭川村立鮭川中学校でのドキュメント。MY LIFE IS MY MESSAGEにほぼ初参加の映像作家、神戸在住の「シブ(カタカナで書くとシド・ヴィシャスみたいで僕が勝手に気に入ってる)」が一人でまとめあげました。 あの場所で行なわれていたことを1カメで記録しまとめることは大変な作業だったと思います。お疲れ。ありがとう。 みなさんも東北の中学生の想いを是非、受け取って、感想を教えてください。

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HW SESSIONS #5、吉祥寺にて

11月11日 月曜日 曇り 昨夜遅く。僕は自宅の階段から落ちました。打ち所が悪かったらヤバかったっちゅーくらいには派手に落ちましたが、落ちながらも、スローモーションの中で、強く思ったことがあります。「まだ死ねん、オレにはやり残したことがある」。その気持ちがよっぽど強かったのか、骨を折ることもなく、かすり傷だけですみました。 実験的なライヴを終えて、成田のホテルでこれを書いています。僕が外国に行くのではなく、アニキが東南アジアの過酷な旅程を終えて、明日早朝、一瞬日本に立ち寄るのです。つまり、出迎えです。 閑話休題。 まず始めに。 新しい曲(まだレコーディングしていない曲)しか演奏しないという、実にリスキーかつチャレンジングな実験場所に毎回来てくれて、ありがとう。あなた達が居てくれるから、僕らは音楽を続けることができる。ほんとうにありがとう。その上で、実験場所であるがゆえ、僕の本心を伝えます。 悔しい。ほんとうに悔しい。何がって、音楽の奇蹟を存分にお見せできなかったこと。みんなを宇宙に連れていけなかったこと。 僕らももう若くはないのです。この奇跡的な4人で演奏できるのは今日が最後かもしれない。そう思って毎回ステージに立ちます。それは悲壮なことではなく、生きていることはそのくらいには厳しいことで、あったりまえのことで、その上で、未来を創ることは、二度とない今という瞬間を全力で生きることだと思っています。その「瞬間」を滴がつくくらいプレシャスなものに変える力をこのバンドは持っています。 このバンドはライヴという場所でもっとも輝くバンドです。それゆえ、来年のスケジュールは白紙にしていました。今日の小さなライヴが、来年どう進めばいいのか、道を指し示してくれるだろうと思ったのです。新しいアルバムの曲は揃っています。ただし、どう録音すれば、今の時代に有効なものが創れるのか、一度レコーディングスタジオに入ってみたけれど、それは試行錯誤の段階です。 今日のハコで、HWが演奏することは今後ないと思います。誤解しないでください。確かにハコからの強力なオファーがなければ実現しませんでした。そしてハコの人たちは一生懸命働いてくれました。ただし、音の相性、PAの特性、バンドの特性。それは彼女とステディーな関係になるかどうかってくらいには難しいのです。 圧倒的にどうにもならない音的な状況の中で、バンドはそれぞれが必死に何とかしようともがいていました。その状況はそれぞれにとって、とても苦しいことだったのですが、同時に僕にとっては嬉しいことでもあったのです。アイロニックだけど。誰ひとり諦めていない。ミラクルは起こせないまでも、インターミッションの間もどうにか打開の糸口を探しだそうと全員が頭をひねり、実践し、打ち砕かれ、それでも誰も諦めない。僕には彼らのファイティングポーズが見えました。何度倒されても。悔しいけれど、嬉しかった。何だか、ヘンな気分です。こんな風に感じたのも。このような感情をみなさんに伝えるのも。 終演後、来年どうすべきなのか、短い時間でしたが珍しく全員で話し合いました。こんなの、僕が記憶している限り2005年以来です。つまり望んでいたのと違う形で、今日のライヴが道を指し示てくれました。 僕らはこのバンドにただごとではない可能性を感じています。だから、来年も実験を続けることを決めました。詳細は決まったらアナウンスします。新しいアルバム、待ってくれてありがとう。わがままだけれど、分かっている場所には誰も行きたがらない。必ず到達します。誰も行けなかった場所に。 みんな、来てくれて、心からありがとう。 追伸 このライヴを心から愉しんだって人も居るだろうから、そういう人には余計なインフォメーションだったと思います。ごめんね。バンドという生き物はいろんなことを推進力に換えて進んでいきます。あくまでも来年に繋がるポジティヴな記述として読んでくれればと思っています。

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復活blog上地獄アワー、第五回。

11月10日 日曜日 曇り ぱんぱかぱーん。みなさん、こんにちは。 blog上で復活した地獄アワー。音楽を愛するみなさんの心の提供で、山口洋がお届けします。 これからは月イチくらいのペースで続けていこうと思います。反応が少ないとイジけて、すぐに放送休止しますので、気をつけてくださいね。笑。 じゃ、1曲聴いてください。今日は良質なソングライター、そしてギタリスト、ジェームス・マクマトリーです。最近はアメリカのいいところを挙げる方が僕にとって難しいことなのですが、彼の曲がとつぜんラジオから流れてきたりすると、懐が深いなぁ、と思ったりもします。どうしてって、聴けば分かるぜベイビー。じゃ、曲は「Levelland」   おー。ひさしぶりに聴いたら、僕が盛り上がってしまいました。こういうときは流れに逆らわずもう1曲ジェームス・マクマトリー。昔スタジオから生放送でやっていたときも、たくさんのアルバムを持っていって、その日の流れで曲を選んでいました。しっかりとしたプロットがあるよりも、スポンテニアスな方が僕には向いています。 底辺にあえぐ人たちの現実と夢を描く。それはある種のソングライターの役割だと思います。彼とはデビュー年が一緒なんです。会ったことはないけど、ずっと同じ時代を生きる同業者として意識してきました。じゃ、もう1曲。これは90年のデビュー盤から。リズムトラックがいいと思ったあなたはいい耳してます。このアルバムはジョン・メレンキャンプのプロデュースで、ドラムはケニー・アーノフなのですよ。じゃ、ジェームス・マクマトリーで「Painting By Numbers」。この番組、いい曲かかるなー。自画自賛。 ———————————————– さて。 今日の特集はリクエストの中から選んだテーマ「ジャズ特集」です。まったくの門外漢です。詳しくないです。でもジャズ、好きなんです。家ではずーーーーーっつとジャズが流れてる。っていうか、ジャズしか聴いてないかも。もちろんマイルスもコルトレーンも大好きです。でも、語れるほどに何を知っている訳でもない。僕が紹介するとマイルス好きに「お前に何が分かるんじゃー」とボコボコにされそうなので、ほんとうに疲れているとき(音楽も聴きたくないようなとき)に聴いている(流れっぱなしになっていて僕を癒してくれる)曲をいくつか紹介したいと思います。ほんとうに音楽って薬かって思うときあるっすよ。 これらの曲を聴きながら、良く「寝落ち」してます。黄色いリクライニング・チェアーの上で、よだれとか涙とか、謎の液体と共に。シングル・モルトのウイスキーをあわせて飲むと、効果倍増。おすすめのウイスキーですか?「PADDY」です。たまーに日本でも見かけます。ぜんぜん高くないですよ。是非。土の味がします。 ところで、僕がジャズの中で一番好きな楽器って何だと思います? ベースです。部屋のスピーカーとアンプはフラットな状態でウッド・ベースの音がふくよかに、たおやかに聴こえるようセットアップされています。一番好きなベーシストはチャーリー・ヘイデン。僕が女だったら、彼に弾いて欲しいです(すいません)。彼のベースを聴いてるだけで眠れます。つーか、彼のベースは聴いたらすぐに分かります。自らを無駄に主張しないし、rootを出すというほんとうの役割と責任を彼は知っていると思います。それに、音楽への愛。溢れるほどの愛を感じるのです。 彼の音楽を聴いたことがないって人にはこのアルバムをお勧めします。ほぼ家族でルーツ・ミュージックを奏でてるのですが、もう何ちゅーか、その、うううっ。嗚咽。聴けば分かるさー(沖縄風に)。ん?待てよ、これはジャズなのか?まぁ、いっか。素晴らしい音楽なんだから。 じゃ、このアルバムの中からチャーリー・ヘイデンが歌う「Oh Shenandoah」を聴いてください。     ね。彼の歌がまた素晴らしいでしょ?悲恋の歌。この曲のギターはパット・メセニーなのですが、随分前にNYで彼のコンサートに行って、2曲目で睡魔に襲われて爆睡しました。以来、まったく興味がなかったのですが、このギターを聴いて考えを改めました。きっと彼も変わったし、僕も変わったんですね。 それではチャーリー・ヘイデン繋がりで、キース・ジャレット&チャーリー・ヘイデン、名盤「ジャスミン」 から「For all we know」を     このアルバムを含め、チャーリー関連のもの、キース・ジャレットのいくつかのアルバム。CDプレイヤーの近くにいつも置いてあって、いつでもかけられるようにしてあります。じゃ、ここでかの「Danny boy」を。こんな風にピアノが弾けたらな、と思うことあります。       ジャズ特集というより、キース・ジャレットとチャーリー・ヘイデン特集みたいになってきましたが、好きなので許してね。確かに家で癒されてるんだもん。次もキース・ジャレットの日本での演奏から。ガーシュインの「 I Loves You Porgy」。ほんとうにこの曲、好きなんです。唸りながら、演奏するのがキース・ジャレットの嫌いなところなんですけど、音楽に集中してるときはほんとうに素晴らしい。   … 続きを読む

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新潟からの本気の刺客

11月9日 土曜日 晴れ 拙者、破れ侍ヒロシの今週はまるで「新潟ウィーク」のようでござった。まずは新潟の新米が届けられ(まだ食してないが、美味いに決まっておる)、今日は21キロ走って帰ってきて、「うーーーーーー腹減った」と上半身裸で原始人になっておったところ、玄関のベルが鳴った。 ———————— 今日はやんごとなき理由にて、侍なのにiphoneを持って走らざるを得なかった。それゆえ、動画を撮ってみた。海沿いの風景は美しいが、あえぐ中年侍というのは実に見苦しい。食事を前にした方はこのおぞましい動画を観ることはお勧めできない。海よ、毎日汚して御免。 IMG_2398 ———————— さて。例年届けられる新潟の名店「吟」の新蕎麦でござる。拙者は侍仲間に連れられ、この店に何度も行ったことがあるが、店主の眼光はただものではござらぬ。そして吟侍の打つ蕎麦には眼光そのものが宿っておった。ま、簡単に云えば、爆発的に美味かった。世が世なら、これはただごとでは済まされぬ。 これは食と云う名の果たし合いでござる。拙者、恥ずかしながら、侍のくせに、貧乏ゆえ、学生時代蕎麦屋で働いていた。後は写真で説明しとうござる。多少の経験があったとしても十割の蕎麦を素人が茹でることは難しいのじゃ。 いやー。緊張感をもって茹での行程に向かったおかげで、身体じゅうに奴と新しい蕎麦のスピリットが駆け巡っておる。体内を駆け巡る「遅れてきた青春」って感じだ。愉快じゃ。わっはっはっはー。 新潟に行かれるなら、是非「吟」に行かれたし。分かっているとは思うが、拙者、吟の回し者ではない。 ————————- とつぜんだが、明日、復活したblog上の架空番組。「地獄アワー」の第五回放送をやろうかな、と思っておる。テーマはリクエストの中にあった「JAZZ特集」でござる。拙者はその道、まったく詳しくないのでござるが、それゆえ愉しそうではないか。お便りはこのblogのコメント欄にくだされ。えー、リミットは明日10日の昼12時までじゃ。

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愛、I believe that the purpose of death is the release of love.

11月8日 金曜日 晴れ ローリー・アンダーソンが「ローリング・ストーン」誌にルー・リードのことを綴って。オリジナルはここに。 ——————————- 手の施しようがなくなったという医師の判断で、二人はニューヨークの自宅に帰った。最期のときはそれから数日後のことで、朝の光を外で浴びながらのことだった。それはルーの希望でもあった。 「私たちは瞑想をやっていたので、力を腹部から心へ引き上げ、頭先から抜けさせていく方法を知っていた。ルーは臨終に際して、驚くような表情を浮かべた。彼の手は水が流れるように、太極拳の動きをしていた。目はしっかりと開いていた。私は世界で一番愛しい人を腕の中に抱えながら、死へと向かうルーと言葉を交わした。そしてルーの心臓が止まる。彼はそれを恐れてはいなかった。私はルーと最期まで一緒に歩くことができた。LIFEはあまりに美しく、痛ましく、まばゆいものであるが、これ以上の経験はなかった。そして死とは何なのだろう? 死は愛を解放するためにあるのだと思う。 ルーは私の夢に現れて、びっくりさせてくれるだろう。私はひとりこの世に遺されて、唖然としながらも、感謝に満ちあふれながら、立ち尽くしている。現世において、私たちの言葉と音楽を通して、お互いにこれほど影響しあい、ここまで愛しあえたことは、なんと不思議で、刺激的で、奇蹟的なことだったことだろう」。 ———————————- 何というか、深い感銘を受けました。愛かぁ。愛だよね。愛だよ。

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