日別アーカイブ: 2014年2月12日

その一年

2月12日 水曜日 曇り このアルバムのたぶん最後の録音になるであろう、クライ・ベイビーワウ・ペダルを使ったスライド・ギターをファイヤーバードで爆音で弾いた。わお。住宅街に響き渡るいい音。古いフェンダー・デラックス・リヴァーブは常にベッドルームに設置されている。これって何となく、素敵な眺めで、けっして貧乏臭くはなかった。となりにチャリンコがあったとしてもね。 元旦からの約40日間。これだけ音楽にintoできたのはほんとうに幸福だった。もう少しで、ほんとうに終わる。 キッチン・ミュージックって言葉があるのなら、このアルバムはベッドルーム・ミュージック。まったくそんな風には聴こえないだろうけど。狭い部屋でアンビエンスがない分だけ、オフ・マイクでこころのアンビエンスを録音しようとこころがけた。 よく歌って、弾いて、叩いて、吹いて、踊った。頭蓋の裏に映った風景をスピーカーの間に描く。自分のソウルと交信しているような日々。愉しかった。 ——————————- ずっと黙っていようかとも思ったんだけれど。僕と同じ経験をしている人の役に立てばと思い、書くことにするね。 一年前の今日。アメリカのとある、ほぼ4000メートルの山頂で、僕は煙草を止めた。「もう、ええやろ」と関西弁でメッセージが聴こえた。ほんとだよ。空気が薄いから幻聴かもしれないけど。そこで、最後の一本を吸って、麓まで滑って降り、ゴミ箱に捨てて、それでおしまい。 煙草には苦しめられてきた。ローティーンのときから吸っていたし、超ヘビースモーカーだったし、30代から歌うことが辛くなってきて(特にツアー)、何度も禁煙したけど、続かなかった。未認可の時代にニコチンパッチを個人的にカナダから輸入したり、禁煙プログラムに何度も申しこんだり、最後には病院にも行った。意志は人並みはずれて強いつもりだったが、これだけはうまく行かなかった。禁煙のせいで人間関係にひびが入ったこともある。 つーか、ひびが入ったあと気づいた。「あーもう、こんなことになっちゃったよ、くそー、1本吸おう」と云う理由を作るために、ニコチンに操られた自分が能動的にひびを入れたのだと。 とかく。何かにコントロールされるのが嫌い。それはよろしくない。自由じゃない。フリーダムじゃないよ。 山頂で思ったのだ。「もう、いいかな」、と。単純に、ただ、それだけ。もう充分に吸ったし、美味かったときもあるし、ヒドイ目にも遭ったし、金も使ったし。それより、もっと歌いたい。もっと走りたい。逃げてたけど、歯もぜんぶ治したい。オレは喰ったもので出来てるんだし。トシを取るってことは、すべて手に入るんじゃない。何かをやるためには何かを捨てなきゃ。 今まで何度も止めたことがあるから、分かってはいたけれど、それからの日々はそれなりに大変だった。体調不良、精神不調、そして太る。それは気に入らない、というか許せない。デブの自分だけは許さない。自分をコントロールできないのは嫌だ。だから、いつもより負荷をかけて走った。月間300キロってのは、それなりに大変。一年でようやく落ち着いてきた。ふーっ。何とか戻せた。 で、ツアーでも声が潰れなくなった。歯も治した。いや、治してもらった。何よりも、生きていることが少し楽になった気がする。 僕を励ましたアプリによると、一年で約30万円倹約し、寿命は48日延び、12775本の煙草を吸わなかったのだと。それはどうでもいいけど。いちばんいいことは、煙草を吸っていた時間を他に使えるってことかな。その分、いつも大好きな水(炭酸水)を飲むようになった。水が美味しい。 実のところ、僕をいちばん励ましたのは魚さんの意見で「そんなもん、止めたってさ、ぜーんぜん大したことないよ。何もなしとげてないし、ぐらいの気持ちで居ると楽だよ」。ほんとにそうだった。それまでは悲壮すぎた。周囲の、特に身近な人間(ガールフレンドとかね)のプレッシャーは辛かった。悪気がないのは分かってたけど。自由になるために必死に不自由を背負ってた、みたいな。正論は苦いんだよ。逃げ場がないもん。 昨日、オリンピックを観ていて思ったんだよ。どうしてあんな素晴らしい少女に期待を背負わせるのか。彼女が背負わなきゃいけない理由なんてどこにもない。その分、平野くんの方がプレッシャーは少なかったと思う。僕は彼やショーン・ホワイトが飛んでいるのをアメリカで観たことがある。(僕は国母選手のファンだけどね)いろいろ思い、学ぶことがある。昨日みたいなショーン・ホワイトを初めて観た。それもプレッシャーなんだろうね。「自由」は難しいね。 話を戻すね。 いつしか、僕の脳から煙草が消えていった。自由になりつつある、と今は思う。煙草を止めても、「モラルのある喫煙者」まで嫌いになるのだけは止めようと思っていた。 ただ、正直な話。飲み屋の隣で吸われると、さいきんは頭が痛くなる。洋服が臭いのも辛い。僕の家に喫煙者が来たときには悪いけど、ベランダで吸ってもらう。両方の立場が分かるようになった身としては、互いを繋ぐことができる存在で居たい。何であれエキセントリックなのは好きじゃない。 伝えたいことはね。止められます。だいじょうぶです。まだ1年だけど。僕に似たタイプの人は「背負わない」でね。そんなに自分を責めること、ないよ。「もう、いいや」。心からそう思えたら、きっとだいじょうぶです。

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