能登に行く(前編)

5月22日 水曜日 晴れ

ようやく能登に行くことができました。その報告です。長くなりますが、一読していただけると嬉しいです。一個人として、主観に満ちた文章として。

長いので二回に分けて掲載します。文責はすべて山口洋にあります。

 

2月18日に個人的に金沢までやってきましたが、能登に行くことは憚られる状況でした。深く考えましたが、今は後方でできることを探した方がいいと判断して、僕らのサポートの拠点となっている金沢の魔界、メロメロポッチに物資を送り、集め、全国からの気持ちも送ってもらい、そこから必要に応じて、彼らのネットワークを通じて、能登に届けてもらうことにしました。

元旦から5ヶ月と20日。ほぼ半年です。今回、金沢で演奏するにあたって、自分の目で見る機会がようやく来たと判断しました。金沢で僕が長年ライヴをやらせてもらっている魔界、メロメロポッチのオーナー、熊野盛夫くん(以下熊ちゃん)は金沢市議でもあり、地元に根ざした志のあるネットワークを長年かけて築いています。

 

にしても。物見遊山ではないわけだから、大義名分は必要で、この震災をきっかけにネット上で知り合った輪島塗の職人さん、(ときどき現地の声として、輪島の状況を伝えてくれた方です)に通販でオーダーしてくれた僕の本を秘密裏に届けにいくというミッションを自分に課すことにしました。彼は能登の郵便事情を鑑みて、オーダーしてくれたものの、それが改善されるまでこちらで保管していてほしいと要望を受けていました。

今回の能登行きの野郎どもは4人。輪島にルーツを持つ熊ちゃん、能登半島のコンビニに配送の仕事をしていて現地の状況に詳しい熊ちゃんの後援会長、大阪から来てくれた旧知のAさん、それに僕。野郎どもの目、8つで見て回ります。ちなみに熊ちゃんと後援会長は何度も現地に足を運んでいます。Aさんと僕は初めて。

僕は日本中、というか世界を旅してきました。なので、地理感覚は優れている方だと思います。ただし、能登半島には足を踏み入れたことがなかったのです。それゆえ、地図上の感覚だけで能登半島を知覚していました。

 

 

その感覚がほぼズレることはないのですが、稀に外れます。たとえば、アメリカ大陸を横断して、その規模を体験して、仰け反るとか。北海道もそうですね。ほんとうに大きい。

初めて訪れた能登半島は道路事情の悪さを差し引いても、自分の地図上の感覚の5倍はありました。つまり、広大で多様性に富んでいるってってことです。「能登半島」と一括りにはできない。

実際、朝8時半に集合して、20時20分の新幹線に乗るまでの約12時間、90%は移動に費やしました。そのくらいの距離感だってことです。中能登、奥能登、きっとみなさんが想像しているより、はるかに広大です。市町村(集落)は離れて存在していて、それらを繋ぐ道路は復旧が進んでいるとはいえ、十分に留意して運転する必要があります。僕も運転しましたが、道路の陥没、隆起、崩落が激しくて、とても気を使うし、疲れます。

 

 

金沢から「のと里山海道」で輪島を目指します。進むにつれて、道路状況は確実に悪化していきます。これまで災害でいろんな道路を見てきました。阪神淡路で横倒しになった高速道路、東日本大震災で津波に襲われた道路、熊本地震で崩落した阿蘇大橋。それらとはまた違ったえげつない、道路の崩落状況でした。写真も動画も撮影しましたが、それらでは到底伝えることができない状況なのです。

 

この写真じゃとうてい伝えきれないのです、、、。

現在は「のと里山海道」を通って輪島まで行くことができますが、それは行きのみで、帰りは一般道に迂回するしかありません。その理由は走ってみて理解しました。あちこちが崩落して、2車線確保することができないのです。5ヶ月経過して、この状況なのだから、震災直後の状態は想像を絶します。つまり、動脈と静脈と毛細血管、それらすべてを断ち切られた状態だったことが容易に想像できます。しかも、元旦。帰省されていた人々もたくんいたことでしょう。住んでいる方も含め、金沢など近隣の大都市に避難することが困難な状況だったと思います。点在する海沿いの集落は確実に孤立していたでしょう。

素人なので、確たることは言えませんが、この信じがたい崩落は震源地が近すぎたことによる揺れの激しさと、もともとの土壌に起因する気がします。見るところ、砂地や赤土が多く、岩盤を目にすることがありませんでした。地名にも「穴水」など、水脈を連想させるものがあって、それら複合的な要因があったのではないか、と。本震は102秒の揺れだったそうですが、それは数分にも感じるほどの恐怖だったと。実際、102秒後の世界はこれほどまでに変わってしまうのだから。

道を完全に復旧するには途方もない時間と金と労力がかかると思われます。だいいち同じように作れば、また崩落する危険性もあるわけだし。後援会長によると、毎日同じルートを走っているので、未だ水分を含むと道がズレるんだそうです。そして、復旧作業に従事されている人々に敬意と感謝をはらった上で、国が全力をあげて復旧に取り組んでいるか、と問われるなら、実感として、それは否です。

僕は阪神淡路と福島と熊本を自分の目で見てきました。熊本地震では自分の家が半壊しました。それゆえ、どの程度復興に力が入っているかどうかは実感として理解できます。ちぎれた動脈の先には人々の暮らしがあるんです。

加熱していた報道も今はない。国民の多くはもう忘れてしまった。報道されるのは大谷選手の元通訳のことばかり。そんな意味では、国、マスコミの責任は言うまでもなく。でも、国民の無関心がこの状況を作りだしているとも言えると思います。

ここがあなたの故郷だったら、どう思うのか?どうするのか?その視点が決定的に欠けている。住民のみなさんが「国に見捨てられた」と感じても仕方がないと思います。未だに水が出ないところがあるって信じられますか?

なによりも、志賀原発で大事故が起きなかったこと。この原発はこれまでも臨界事故を隠蔽してきました今回も油漏れの事故が起きています。

それは運が良かっただけじゃないのか、と。

僕らは福島からいったいなにを学んだのか?こんな世界を子供たちに遺していいのか?と。それは僕自身への問いかけです。

 

金沢から3時間弱で輪島に着きました。ここは熊ちゃんのルーツなので町の成り立ちなども含め、詳細に教えてくれます。なぜ、この町で漆器が作られるのか?それは気候に起因するんだそうです。たくさん話を聞いたけれど、今回は割愛します。

輪島の家並み。総じて、都会のペカペカな家とは違って、でっかいんです。立派です。僕は元の輪島を見たことがないけれど、震災前なら、それは立派な街並みだったと想像できます。飛騨高山のように、おそらく景観も考えられ調和していて、大型郊外店のヒドい看板もあまりない印象です。

ただ、大きな家がゆえ、揺れと瓦の重みで崩壊するとその被害はさらに甚大に感じてしまいます。熊ちゃんのおばさんが震災直後に電話で繋がったとき「輪島は終わった」と伝えたそうですが、その言葉の意味が5ヶ月経過した今でも理解できます。

 

 

まずは輪島塗の職人さんの家を訪ねます。おそらく、お仕事中だったのか、と。彼の家の周辺も、聞かされていたレポートより遥かにひどい状況でした。あの冷静な言葉の数々をこの状況で書かれたのか、と。頭が下がる想いです。

1月28日 http://no-regrets.jp/wordpress/?p=34626
1月30日 http://no-regrets.jp/wordpress/?p=34638

でも、僕らは震災がなければ、こうやって会うこともなかったわけで、それはこれからの希望であり、光です。彼の暮らしの中で、僕らの音楽が鳴っていたのであれば、ミュージシャン冥利に尽きます。彼はこう言いました。「来てくださって、ありがとうございます。珠洲はもっとひどいので、できれば行ってみてください」と。

やっとお会いできました!

 

その言葉で、僕らは能登半島の最先端、珠洲市まで行くことにしました。

そして職人さんから、こんなメールをいただきました。静かで強い決意に満ちた文章で、とてもこころに響きました。

———

災害の当事者となり、「満月の夕」の曲について、今までとは歌詞の意味合いを感じる部分に変化がありました。

再生の歌、私も一表現者として、工芸の表現で作ってみたいと思い、自分の表現方法で制作を進めています。

現状について悲観も楽観もなく、ただ自分の心の安定のため作り続けていくこと、

そして自分と家族の生活が整えば、また他の人を支える気持ちも出てくると考えて、復旧・復興を静かに見つめていきます。

———

珠洲市へ行く前に、熊ちゃんと後援会長の案内で、朝市がかつてあった場所へ行きました。

さんざん報道されているので、目にした方も多いと思いますが、いざ自分の目で見てみると、まるで戦場のようでした。ここはガザなのか?と錯覚を起こしそうな風景。未だ焼けた臭いが漂っていて、僕らのような人間以外誰もいない。かつて賑わったであろうこの町の名物であった場所には復興の「ふ」の字もありませんでした。

正直、このような写真を撮るのも、掲載するのもこころが痛いのです。でも、伝えてくれ、と現地の人に言われたからには伝えるために掲載します。

(後編に続く)

 

 

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能登に行く(前編) への7件のコメント

  1. ハートロッカー より:

    じっくりと読ませて貰いました。山口さんや皆さんの活動には頭が下ります。テレビマスコミは自分勝手で不安を煽るだけ煽って使い捨てる。そしてまだ次に‥‥何も進展解決して居ないのに‥‥GWの道路渋滞ニュースヘリを飛ばしてまで誰が興味有るのか?といつも思う。とは言え僕自信耳が痛いです。現状の写真を見て言葉が出て来ない。山口さんらにだけに希望を託すつもりは無いんだけど‥‥やはり心強い!僕らが勇気を貰えるのだから現地の方々にしたら‥‥

    土地や人の結びつきは故郷となる。それは他人事になりがちですよね。慣れ親しんだ場所って誰に取っても何より大切。元通りは難しいと思うけどいち早く暮らしを生活を取り戻して欲しいです。

    一度だけは把握出来ない内容。何度か読み返します。

  2. jun strummer より:

    洋さん、写真を拝見しました。
    インスタのストーリーズでも見ていましたが、現状に絶句しました。家族にも見せました。やはり言葉が出てこないぐらい衝撃を受けています。国はいったい何をやってるの?と。
    このような写真を撮ることも躊躇したとおもいますが、震災後の現在の様子がしれた事、本当に感謝します。ありがとうございます。
    自分がやれる事、やっていきたいと思います。
    無関心が一番怖いですね。

  3. Masako より:

    能登の現状、読みました。伝えてくださり、ありがとうございます。写真見ると、辛いですね。能登の力になりたいですが、今行っても、ただの見物人になってしまうので、復興が進んでから訪れたいと思います。相馬やいわき、浪江に行った時のように、未来が見えるといいですね。寄付金も多く集まった熊本城の天守閣はもう復旧されているようですね。
    今朝の新聞では石川県の断水は2170戸となっていました。特殊な地形、地盤もあり、まだ、崩落の可能性もあるようです。県、市、行政や自治体で、色々な計画が進んでいるかと思います。地権者の手続きがされていないと、解体も出来ないそうです。なかなか難しいですね。高齢化、人手不足も懸念されますが、皆で協力して、マンパワーで、復興が進むことを願っています。

  4. りゅういち(59) より:

    洋さん、山口洋パイセン、とても大事なことを伝えてくださってありがとうございます。洋さんの、ひとつ年下の後輩、私は心配します。洋パイセンは常に全力。洋パイセンのファンの皆さんは、ちゃんと分かっとりますけん、もう少し、ゆっくりのペースでヨカですよ。能登には、ほんの少しバッテン、気持ちをカタチにして送ります。お身体、ご自愛くださいませ。パイセンは私の指標。ミーハーの私は、ずっと追いかけますけん、よろすくです。

  5. ほんじょう より:

    痛々しい写真を拝見しました。

    否応なしに、痛みを現実として受入れざる
    得ない毎日を過ごしていると、心が弱り
    普段なら何でもないようなことで
    心がすれ違い争いが生じてしまう
    のではないか?と感じました。

    今、安心安全の場にいる僕たちができる
    ことは、この災害(痛み)を、自分事として
    向き合い「だれかの(自分の)心の安定」のために、
    何を手放し、赦せるのか。身近な人の光となれるのか。

    そんなことを、みんなで、真剣に考える時が来ているのだと
    思いました。

  6. ナカガワヨシヒロ より:

    メロポチでのライブお疲れ様でした。
    杉野さんの復帰もめでたいです。
    能登震災+メロメロポッチといえば。
    昨年の大晦日はそこのカウントダウンライブにカオ出して、当然呑むので向かいのアパに泊まって、翌朝の元日に、ひと風呂浴びたいって思ったんですが正月なので何処もやってなくて。
    で、範囲を広げて引っ掛かったのが「能登和倉温泉総湯」
    まーどーせ正月休みだし、能登最近行ってないし、ドライブがてら行こうかね。
    って軽いノリでお昼前に能登に向かいました。

    結果・・
    ものの見事に、まさにドンピシャで震度6強+大津波警報の直撃を食らいました。
    死ぬかと思いました。(実際一回諦めた)

    さっきまで、のんびりお正月ムードだったのが、16時10分を境にいきなり地獄に・・
    地震は怖いですね。全く予測できない。
    メロポチスタッフの照美さんも能登に帰省して被害に遭って、その様子をFBで漫画にして上げてますし、アタシもその顛末を15分の漫談形式にして語れるようにしてるので、次は是非・・
    ライブが土曜でしたら披露したんですが。

  7. ナカガワヨシヒロ より:

    あと思ったのは、こういう災害時には、ひとの「本性」が出るな、っていうことですね。
    即座に支援に動く方々がいる一方で、被災地と観光地の区別がつかない方とか、災害を利用して自らの行動をアピールされる方とか・・
    今まで普通に知人として接してきた方でも、ああそういう考えされるんですね、って思ってしまいました。
    やはり火事場泥棒や震災詐欺も横行しましたし。
    でも自分も、傍からみたら同じコトやってる可能性もあるわけで。
    そこは気を付けないといかんなあ、って思えます。

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