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胸の中にあるブルースと音楽愛

2月8日 土曜日 晴れ この時代、どんな職種であれ、たいへんじゃないものなんて、ないと思っています。そんな中で、ライヴに足を運んでくれる人たちにはたとえ「ひととき」でも幸福な気持ちになってほしいし、願わくば、来たときよりも元気になって帰ってほしいと思っています。いつか書いたモリタクさんの言葉ではないけれど、それがエンターテイメントが社会に果たせる役目か、と。 プロのミュージシャンになって、10年ちょっとくらいまでかな。音楽事務所に「所属」してわずかな給料をもらっていました。今振り返ったなら、スタートからして、この「日本独自」のシステムがちゃんちゃらおかしい。もっとも独立していなきゃいけないはずのアーティストと呼ばれる人種が、サラリーをもらっているなんて。こんなシステムが存在してるのは多分日本と韓国だけじゃないかな。これについては長くなるので、今日は割愛。レコード会社がかなりの部分で丸抱えするかわりに、いろんな権利はほぼ手中に収めるって構図です。つまり音楽事務所は自ら利益を生み出してはいない。これが問題なのです。 で、わたすは世界に出ていって、日本の「飼育」システムがいかに狂っているか知ったわけです。 それでも「独立」したとき、前述の「わずかな給料」さえ失うのは正直怖かった。それは定期的なわずかな収入がすべてなくなることを意味していたからです。でも、考えてみれば、「仕事」は自分で作ればいいわけで、誰の指図も受けないわけで、ひとつき外国でスノーボードをしようが自分で責任を取ればいいわけで。そういう生き方も最初は風当たりが強いけれど、徐々に「あいつの生き方いいなぁ」みたいに変わってきたりもするのです。 モノを創っている間は無収入。それは作家であれ、陶芸家であれ、農家であれ、同じです。それゆえに作品に覚悟が宿る。 「死して尸、拾う者なし」。この気概なくして、なにがアーティストだって、今は思います。振り返れば、最初から独立志向で、日本でデビューする気なんてなかったし、イギリスからのインディーデビューを考えていたのに、生活苦でメジャーと契約したところまではよかったけれど、その時点で音楽事務所なんかに所属するべきではなかった、と。その独立心が最初からあれば、今頃どこかの山の中に変わったスタジオを持っていて、仲間のミュージシャンに安価で貸し出して、ひとつの文化の流れを創れていた、と思います。 なんでこんなことを書いているか、というと。 独立したいという気持ちがあるのなら、勇気をもって、覚悟をきめたなら、めっちゃやりがいはあるってことを伝えたかったからです。トライ&エラーを繰り返しながら、自分独自のやり方を構築していくのは「生きてる」って感じがします。安易には勧めないけど。 その根底にあるわたすを支える力は、実はブルースなんです。わたすはティーンの頃、福岡で育ったので、素晴らしいレコード屋さんによって、徹底的にブルースを叩き込まれた。自分では演奏しないけれど(安易に人前でやりたくない)自分の根っこにそれが流れてるんです。哀しみを転化された音楽。だから、自分が音楽に携わることも「表現」ではなく「継承」している感じに近い。 演奏者の根底にそれがあるかどうかは、演奏を聞けばすぐにわかります。そういう人とは一瞬で通じ合える。ブルースとはそういうものです。 いつか、そういうことも伝えておきたいと思っています。ティーンの頃、こころの深いところに刻み込まれて、ほんとうによかった、と。   さて。 2月の末に横浜で行われるイベントに出演することにしました。企画した主催者氏はにゃんと僕が昔いた音楽事務所の社長氏(故人)が紹介してくれた人物で、出版社も絡めて、web上で連載を企画してくれていた人です。 いろんな流れがたぶんあって、彼は「音楽愛」と題したイベントを「独立」して企画しました。実際に会って、彼の心意気も受け取りました。たくさん語ったんで、まずはぜひ読んでください。    

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